[ Chinatown BBS Log / No.600〜No.620 ] |
約束の時
Handle : シーン Date : 2001/08/08(Wed) 00:55
死は特別なドレスを纏わず訪れるものだ。
「ハンニバル」より
久遠は電子の輝きに包まれた不可視の指先から、彼女の思うメレディーという女性を感じようとつとめた。
冷静に、しかし甘やかな恋人達の愛撫にも似て、熱く。
デジタルが支配する電脳の空間において、彼女がメレディーに関して持つ手がかりはあまりにアナログなものだ。それは、久遠がメレディーに対して抱いている共感とも呼べる感覚的な理由だった。
こんな事を言ったら黒人さんは怒るかな?
久遠は微かな微笑を口元に浮かべる。
“笑っているの、久遠?”
ツァフキエルが訝しげに問うた。
「“解っている”のでしょう、ツァフ?」
久遠はわざと意地悪気にそう答えた。
天使のアイコンが答えるように二・三度震える。
それがどこかへそを曲げた子供のようで、彼女は再び小さく可愛らしい笑みを漏らした。
自分にとても近しい存在、もう一人の自分自身とも言えるこの電脳の小天使ですら、彼女の知らぬ面をまだまだ持っている。それなら、わずかな面識しかないあの女性、メレディー・ネスティスの事を自分はどれほど解っているというのだろう。
何人もの・・いや、もしかしたら人類の運命すら左右するにたる、どんな確信があるというのか?
不意に浮かんだ疑問が不快な冷たさを伴い背を這った。
“久遠・・今、あなたはターゲットの前にいるのよ。銃にはブレット、そして指はトリガーにかかっている。でも、相手もまたあなたを滅ぼす事のできる銃を握っているのだという事を忘れないで。あなたが迷っている間、あの人が待っていてくれるわけではないのよ。”
「そうだね・・・ごめん、ここで迷ってちゃダメだよね。」
久遠は自分を奮い立たせるように、強い声音でそう答えると、先ほどのレポート、那辺が、沖が、そして多くの一連の事件に関わった者達が残した様々な欠片をもう一度たぐりはじめた。
企業のメインフレームを遙かに凌駕する処理スピードと、彼女自身の才覚ともいえる感受性により、それらのデータはまるで彼女自身が様々な出来事に居合わせたかのような感覚を与えた。
良質の映画を鑑賞した時のような感動が彼女の小さな体を包み、久遠は微かにその身を振るわせた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<過去、中華街で発生した事件の中で――――――――>
レポートの出だしは、そう始まっていた。中華街における事件、アラストールに関する其れ。
自分にとって大切な人達が織りなした時間と結果。そして出てくる単語の意味………
逆瀬川や、御厨達と笑いあっているメレディー。
カーマイン・・・いや、死に絶えようとするアンソニー・ブラスコに手を触れて涙する彼女。
アジームに、擦れた声をかける彼女。
息も絶え絶えに、血を流してベンチに座り込む彼女。
そのどれもが、血肉の通った一人の女性の悲しみと怒りを感じさせた。
華やかな肩書きをもつプロフェッショナル、“フラットライン”メレディー・ネスティスではなく。懸命に死と闘う生身の女性の姿だった。
一体どの彼女が、自分が知る“彼女の想い出”なのか。
自分の中に埋まる“欠片”は、本当に共鳴のトリガーとして作用するのだろうか。
いや、しなければ何も始まらない。そう、黒人が悲壮にも訴えたではないか。
しかし、久遠自身が確かにメレディーであると感じなければ、何も救い出す事は出来ない。
久遠はかぶりを振った。
「メレディー・ネスティス・・・フラットライン・・・」
彼女はもう一度、まるで解放を告げ、全ての謎を解き明かす呪文であるかのようにその名を呟いた。
「フラットライン・・?」
刹那、電光のように彼女の脳裏で一つのイメージが閃いた。
死を目前にしたアンソニーの前にたたずむメレディー・・彼女自身が二度目の死を受け入れようとする瞬間・・・様々な情景がまるで幾片にも分かれたパズルのピースのように浮かびあがり、ぼんやりと形をなしていくのを久遠は確かに感じた。
「わかった・・フラットライン。それがキーワードだったんだ。」
「死を感じるとメレディーさんはとても動揺する。それは、あの人が誰よりも身近に死を感じ、受け入れているからなんだ。」
久遠は自らの思考を整理するかのように、呟いた。
その声が徐々に確信を帯びた強いものに変わっていく。
「いえ・・・今もあの人は死を恐れている。身近にあり、決して抗う事のできない死の影に・・・」
“答えはでたの?”
ツァフキエルの問いに久遠ゆっくりと頷いた。
「まだぼんやりと、だけど・・・見えてきたよ。」
“どうするの?時間はないわよ。”
「方法はある。私自身が・・・」
久遠は強い意志をこめてその言葉を口にした。
最後の一歩を踏み出す勇気を自らに与えるために。
「フラットラインを超えるしかないね。」
“久遠!”
ツァフキエルの声が悲痛な響きを帯びて電脳の空間にこだました。
その声に久遠はもはや答えず、まばゆく輝く前方を見つめた。
光の天使、“神威”クレア・・・そしてメレディー・ネスティスを。
「今こそ、私の命と全てをブレットにかえて、トリガーを引く時なんだ・・・」
[ No.600 ]
OPEN SESAME《U》
Handle : シーン Date : 2001/08/15(Wed) 16:59
「一族か・・お互い血の契約ってのは、つらいよな。」
草薙はキリーが去った関帝廟の門に、まるで見えない背中に語りかけるように呟いた。
と・・・
誰かの視線を感じ、振り返る。
紅の深淵を思わせる瞳が彼の思考を探るようにこちらを見つめていた。
しばし視線が絡み合う。
このわずかな時間に二人の間でどんな意志のやりとりが行われたのか。
やがて、草薙は軽く肩をすくめると視線をそらし、関帝廟に集まる面々を見た。
紅、皇、八神、そして最後にサンドラに何か言いたげな視線をジッと注ぐと深く息を吸い込んだ。
「オレはこれから門を開く。」
一息にそう告げる。
皆は何も言わなかった。
それまでの彼のどこか他人事のような気楽な口調ではなく、重大な決断を下したもの特有の強い意志をその声音から感じとったからだ。
それを肯定と受け取り、草薙は言を継ぐ。
「オレの一族は世界中にある特異点、いわば地球意志とのターミナルを開く事ができる“門の守護者”だ。」
門の守護者、その言葉を口にした時、草薙の面に微かに暗い翳りがよぎった。
皇がそれに気づき、わずかに眉を寄せる。
「ゲルニカは今、アストラル界から門への侵入をこころみているだろう。でも彼女の力をもってしてもそれは容易じゃない。絶対不可能だとは言わないが長い時間がかかるはずだ。」
「じゃあ、門を開かなければ・・・」
サンドラが緊張に耐えかねたように口を挟んだ。
「いや・・それじゃあ何も解決しない。」
草薙は静かに首を振った。
「LU$T を包む霧、これをあとくされなく排除するには彼女に術陣を発動させるのが一番なのさ・・・」
「LU$T ・・いいえ、世界の破滅を招くかもしれませんよ。」
紅が静かに言った。しかし、言葉とは裏腹に、その口調から危機感は感じられない。
「那辺がいる。それにアンタ達に久遠、他にもいろんな奴らが状況を打破しようと動いているはずさ。」
「それは議会でも考慮しているんダロ?」
「・・・・」
紅は答えず、小さなため息を漏らした。
「オレは信じているぜ。ユウジョウ、ドリョク、ショウリ・・ってヤツ?」
「そんな!そんな楽観できる状況じゃないでしょう!」
軽薄そうな笑いを漏らす草薙にサンドラが詰め寄る。
「まて・・・」
それまで、腕を組み、ジッと話を聞いていた八神が口を開いた。
「そいつの言う事も一理ある。それに、俺達にとって有利な点も、な。」
「そこが目的地なら、ゲルニカはそこを動く事ができない、逃げる事が出来ないはずだ。オレ達があの女を捕まえる事が出来る最後のチャンスになるだろう・・・」
まるで己の思考をそのまま口に出したような、冷静で、なんの感情も感じさせぬ口調で八神が言った。
「そういう事だな?」
最後に鋭い視線を草薙に向ける。
「その通り。良く出来ました。」
草薙は八神の視線を正面から受け止めるとケラケラと笑い手を振った。
「さっき那辺と榊が入っていったあの回廊があるだろう?あの先を門へと繋ぐ。それでアンタ達も彼女のところに行く事が出来るはずさ。」
草薙は関帝廟を指さしそう言った。
「でもな・・・時間はないゼ?彼女が術陣を発動させれば、それこそお嬢チャンが言ったように世界の破滅かも知れない。それにゲートへの入り口がいつまで開いているのかはオレにも解らない。それでも行く意志のある者だけ、先へ進むんだな。」
「あなたは・・来ないの?」
皇が掠れた声でそう言った。
草薙は軽い口調で告げているが、事態の深刻さが重圧となって彼女の体を押しつぶそうとしているかのようだった。
それは他の者達にも言える事だ。
彼等の決断が世界の命運を分けるかも知れないのだ。
「オレにはやる事がある・・」
草薙は軽くかぶりを振ると関帝廟の門を見た。
「キリーが青面騎手幇のビルに行ってカタをつけるまで、ここで奴らをくい止めなきゃならないからな・・・」
「それくらいやらなきゃ、後で那辺にぶっとばされちまう・・・」
草薙は神技とも言える速度で金と黒のモーゼルを抜くと重さを確かめるように二・三度弄んだ。
「オレ達一族が確かな意志で言葉を放てば、それが開門のキーワードになる。」
「さあっ!門を開くゼ!決断の時だ!」
草薙は一際高くそう言うと自らを鼓舞するかのように銃を天に向け引き金を引いた。
銃声が轟き、辺りの空気を振動させた。
長い尾を引いて、それが天に吸い込まれ消えた時、草薙は静かに告げた。
解放の呪文を、もしくは破滅へのキーワードを。
「OPEN SESAME」
そして、辺りの空気が一変した。
[ No.601 ]
魔人達の夜
Handle : シーン Date : 101/09/03(Mon) 00:21
◆中華街:関帝廟付近の路地
中華街の路地の奥に金属のふれ合う乾いた音、重い物がぶつかり合う鈍い音が数度鳴り響いた。
霧に住む魔物、数々の奇妙な事件を恐れ、戸をぴったりと閉じ、乳白色の霧夜を恐れる人々の内、いったい何人の者がそれに気づいたろうか?
超絶の力をふるう、二匹の魔人の暗闘に・・・・
「なるほどね・・・」
技を繰り出しては、離れる、それを何度繰り返した事だろうか、さすがの来方の額にもうっすらと汗がにじんでいた。
服はほこりにまみれ、腕や頬にわずかな擦過傷や打ち身の跡がみられた。
「タフだねぇ。」
油断なく、来方に視線をとどめながらフーディニが苦笑する。彼にもさすがに疲れがうかがえた。
「だいたいわかった・・・」
言うと来方はコブシ大のコンクリートの塊を足下から拾い上げ、フーディニに向かって投げた。
しかし、それは敵の顔前でまるで見えない壁にあたったように、静止した。
ユラリ、とその輪郭が崩れる。
瞬く間に細かな砂の粒子に分解された岩塊は夜風に乗り霧散していく。
「おまえの手品のタネは物質を分解し、別の物に再構成する変化能力と言われているものだな・・・でも、これだけ瞬時にしかも原子レベルで組み替える力をもったヤツには、お目にかかった事がない。」
「“パーフェクト・ワールド”・・そう僕は呼んでる。」
フーディニは薄い笑みを浮かべ、答えた。
「で・・・どうするんだい?」
「決まっているさ。」
来方は拳を握り、構えをとった。
腰を落とし、スタンスを広くとる。
息を深く吸い、体内に力を蓄える。敵の支配に対抗しうる力を。
「ぶん殴るだけさ。」
場違いな程楽しげに、来方は言った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆関帝廟
関帝廟に嵐が訪れた。
あらゆるものを吹き飛ばし、なぎ倒すおそるべき暴力の嵐。
青面騎手幇。
キリーが引きつけた数は実際そうとうなものであったが、それでも百人をゆうに越すレッガー達が関帝廟に雪崩のように押し寄せた。
血走った目をし、口々に奇声を発しながら襲いかかる彼等はまるで何かに怯えているようにも見える。
「敵さんも必死ってワケか。」
視界を全て覆う程の敵を前に、それでも草薙の口調は軽かった。
ズドン!
彼の両手に握られた金と黒のモーゼルが火を吹く。
瞬く間に数人の男達が地に伏した。
その頭上を黒い影が一瞬よぎる。
「死ぬなよ・・・那辺。」
敵に向かって駆けながら、草薙は小さく呟いた。
・・・・・・・・・・・・・・・
◆関帝廟内:回廊
ギチリ
辺りの空気が質量をもったような気がした。
ザワザワと全身が総毛立つような悪寒を那辺は感じていた。
ゆっくりと振り返る。
回廊内は入り口からさす光に薄く照らし出されている。
そこに新たな影が一つ生まれた。
唐突に現れたそれは、みるまに盛り上がり質感をもっていく。
やがて影は人の形となった。
逆光となっているためその人物の顔はよく見えない。
ただ、目だけが紅く凶々しい光を放っていた。
凶眼。魔眼。
そう呼ぶにふさわしい、見る者に直接死をなげかける紅い瞳。
“知っている”
“私はこの男を知っている”
ドクン
心臓の高鳴りを感じる。
恋人との邂逅にも似た快感を感じながら那辺はそう確信していた。
熱が体内で渦を巻いているようだった。
今すぐ駆け出し、目の前の“男”に走り寄りたい。
そう・・・
彼を、“デスサイズ”クリングゾールをこの手で殺すために・・・
「迎えに来たぞ、沙月。我が娘よ。」
まるで彼女の思いに答えるかのように、低く、魂さえ凍る冷たさをもった声が男の口から漏れた。
[ No.602 ]
八月の月
Handle : シーン Date : 101/09/03(Mon) 01:34
▽LU$T居住区画
煌がもし目を覚ましていたのなら、こんなに静かに物事が進まなかったかもしれない。
キリーは通常の感覚を持つ人間ならば、その時間の経過すら感じない、もしくは時間の流れに押し流されてしまう、そんなアストラル空間を一人静かに肌身に感じながら考えた。
今この背に眠る少女は、LU$Tの電脳界において中核となる属性を併せ持つ、言わば閾値となる存在だ。
アストラル界と原形界からの多大なる歪みと揺り戻しを受け、二つの鏡面世界の狭間に浮かぶ電脳界は、その偏りを本来のカタチに保つ為の言わば・・・回路-みち-として機能するはずだった。
だが一連の霧の事件は、その硝子の様な均衡を見事に打ち崩している。
深く楔の様に打ち込まれるLU$Tの特異点を中心とした都市の霊的均衡を構成する術陣は、無数のナノマシン達が奏でる“歌声”にその埋め込まれた力のベクトルを著しく捻じ曲げられた。これまで描かれた事も無いような魔竜を生み出す都市規模の巨大な術陣へとその姿を変えられつつある・・・いや、もう既に書き換わっているだろう。
諸外国の特命で編成された諜報機関の監視の網の目に掠りもしないゲルニカ・蘭堂。彼女が描き出そうとしているものは、その結界とも言える「魔を喰らい天となす」八卦炉の術陣を、その巨大さゆえに一時に描きなおすことでそれと成る亜種への移行-シフト-だ。
そしてそれに対し、真正面から対抗するように中華最高陰陽議会が遣わしたのは、LU$Tの均衡を“統べる”べく、亜種へと姿を変える術陣を諌める力をその身に内包する議会最強の使い手・・・スサオウ。
刹那、キリーは僅かに眉を顰めてその歩みを緩やかにして思考を解いた。それは、幾分煌の身体が軽くなったような気がしたからだ。
アストラル界と電脳界は、霊的な繋がりで表現するのならば、その距離は非常に近い。界に存在するその霊格が高くなればなるほど、そのものが表裏一体の繋がりを有するようになる。その繋がりを踏まえれば、煌自身に何が起きているのかは、推して知るべしだ。
「時間はあまり無いということか。・・・間に合うのか?」
完全に歩みを止めこそはしないものの、キリーはどんどんと膨れ上がる己に内に生まれた不安感をどう扱うべきか迷い始めていた。
原形界・アストラル界の歪みの調律を前提とした長の紅の考えは、当初自分が考えていたよりも議会の一派には、ある意味受け入れがたい選択の一つのようだ。少なくとも、彼等は長とも言える紅の勅命を無視して、異なる経路を選択して辿ろうとしている。
彼等が考えているのは____________これもまた本来であれば決して外部に洩れるはずの無い考察ではあるが、ベクトルを持った霊魂が収束する言わばレギオンともいえる存在であるスサオウを、同じく同様の霊格を有すると目される阿修羅丸へと接触させることだ。
ゲルニカが歪めたLU$Tの術陣へ直接干渉しているのは、恐らく間違えなく阿修羅丸だ。決定打を繰り出しているのはゲルニカだとしても、その基礎を埋めているのは阿修羅丸だ。無論、その目論見事体には間違えも無い。それをスサオウは知っている。歪んだその術陣を律するべく、彼はその自身の魂への同期を持って調律と成すはずだ。
スサオウはゲルニカが歪めた術陣を在るべき姿に立ち戻らせるだけでなく、己の魂へと共鳴させ、更なる磨きをかけて上書きするだろう。ゲルニカは阿修羅丸に、恐らく同じように新たな術式を重ねて描かせてゆく。議会の一派はそれを利用し、ゲルニカが紅が差し向けたスサオウを贄として更なる強力な術式へと昇華させ、彼等が意図するベクトルへとLU$Tを中心にして描かれ直された都市規模の術陣を手に入れることだろう。
その先にあるものが一体なんであるのか・・・一切は不明だ。
関帝廟で皆が推察していたように、アラストールの降臨を以ってして始まりと考える勢力が増えたということなのだろうか?
キリーは更に眉を顰める。頬を掠める微細な霊波の感触はもうすぐゲートの一端が近いことを知らせる。
そしてその口元には、やがてゆっくりと冷たい笑みが浮かぶ。
それは歴戦の線上をくぐり抜けて来た者に、共通した特有の表情だった。
キリーは笑った。
「まぁ、いいさ。それもやがて目に見える答えに成って現われる。青面騎手幇が意図せずしてその身を持って語ってくれるだろう」
青面騎手幇の構成員のほぼ本体に近い部隊が待機するビルの前に、一陣の風が吹き、異様な音を立てて空間が捻じ曲がり始める。それは転移によって紡ぎだされた事象の歪み・・・ゲートだ。
嵐の様に建物から溢れ出そうとしている青面騎手幇の構成員達の殺気をその身に受け、キリーはにっこりと微笑んだ。
そして刹那、その笑みが消え去る。
「問題は、何処までこのお嬢ちゃんが持つかだな」[ No.603 ]
歪む世界
Handle : シーン Date : 2001/09/11(Tue) 01:27
◆アストラル空間:双龍炉
絡み合う二匹の龍、荒王と阿修羅丸は各々の肉体を捨て、お互いの精神世界に没入していた。
元々両者とも精神体として、人間の持つ通常のものを遙かに凌駕したキャパシティを有している事もあり、それが今、中華街、アストラル空間において膨大なエネルギーを生み出す動力として作用していた。
空間をねじ曲げ、異界との門を開くにたるエネルギーを生み出していたのである。
「クククク・・・解る。決して満たされる事の無かったあくなき闘争への乾きが満たされていくのが解るぞ。」
鬼面の下で阿修羅丸が愉悦の含み笑いを漏らした。
荒王も口元を歪め、それに答えるように嗤う。
彼もまた、いつしかこの闘いに喜びを感じていた。自分とあらゆる面で互角の実力者と渡り合うスリル。体得した技を全て使い闘う事ができる満足感に、体が歓喜の雄叫びを上げていた。
「我も、よ。」
視線を眼前の敵にすえたまま、言う。
二人の精神世界では、他者の目には見えないが、変わらぬ闘いが繰り広げられていた。
もはや肉体を捨てた二人は、現世には戻れない。
唯一手段が残されているとすれば、相手を倒し、その力をもって新たに肉体を再生する他はなかった。
お互いの存在をかけた闘い。
その勝利者のみが新たな生を得るのだ。
しかし、二人の力は互角。このまま闘い続ければ、各々の活力と精神力を使い果たし、最後の力を異界からやがて姿を表すであろうモノに吸収され、消え去るのは必死とも思えた。
オオオオオ!
獣のような咆哮が両者の口から発せられた。
二人の闘神が空を駆ける。
阿修羅丸は鉈のような肉厚の大刀を渾身の力を込めて荒王めがけ、袈裟懸けに振るった。
それを荒王は長刀で軌道を反らすように受ける。
そして、二人は交差した瞬間、荒王は拳を、阿修羅丸は蹴りを放つ。
ゴッ!
肉が爆ぜるような音が鳴り響いた。
それは常人の目には捉えることの出来ぬ神速の攻防だった。
ユラリ・・
両者の体がわずかに揺れる。
しかし、二人は視線を相手に据えたまま、体勢を立て直した。
次に仕掛けたのは荒王の方であった。
細かな突きを繰り出し相手の体勢を崩すと、体を前方に投げ出すように必殺の突きを放った。
それまでの牽制ではなく、さらに伸びのあるスピードの乗った突き。
おそらく敵である阿修羅丸の目には切っ先が一瞬消えたように見えたはずだった。
超絶の破壊力を有した技が阿修羅丸の鬼面に迫る。
しかし、彼はそれを体を沈め、回避した。
視覚ではなく、数々の実践をくぐり抜けた者が持ちうる殺気に対する反応のみでかわしたのだ。
しかも、そのままの体勢から伸び上がるように逆袈裟に荒王の胴を薙ぐ。
だが、そこに敵の姿は無かった。
先ほどの突きの反動を利用し、中に飛んだ荒王はそのままの勢いで前転し、頭上から浴びせ蹴りを放っていたのだ。
「チッ!」
完全にはかわせないと判断した阿修羅丸は体を捻ると片腕を地につき、空中の荒王に倒立蹴りを放った。
ガッ!
火花が散るようなすさまじい衝撃音を残し、再び対峙する両者。
常人であれば、確実に死亡したであろう打撃を互いに交換し、それでも二人は体をゆっくりと起こした。
「互角か・・・ここまでオレと対等に渡り合える者がいるとはな・・」
阿修羅丸が呟いたその時・・・・
「?」
荒王の体が刹那、傾いだ。
絶対の信頼を置くはずの己の肉体に微かな違和感を感じ、足下に視線を移す。
「・・・・」
荒王の表情が苦痛ではなく、疑問に歪められた。
彼の左足のちょうど膝から下がわずかに色彩を失い、存在が希薄になりつつあったのだ。
足の感覚が徐々に失せていく。
「在れ!」
荒王が力を込め、言魂を放つと左足は再び色彩を取り戻した。
しかし、わずかな違和感は消え去りはしなかった。
荒王の脳裏に先日出会った黒衣の男、ラドウの姿が浮かび上がった。
その闇で彼の左足を喰いちぎった、魔人・・・
「傷は癒えたはずだ・・・」
自分に言い聞かせるように呟く。
そう、いかに重傷とはいえ、他ならぬ議会の古老の一人、紅が術を施したのだ。
癒えぬ傷などあるはずがない。
では、なぜだ?
「あの者と闘ったのか・・・きさま。」
彼の内面の葛藤に答えるように阿修羅丸が言った。
どこか気分を害したような低く唸るような声音。
荒王が再び視線を阿修羅丸に向ける。
「あの男と対峙し、生きながらえているだけでも大したものだと言いたいところだが・・代償は思いの外、大きかったようだな。」
阿修羅丸は何かを思案しているようだった。強大な気を発しているが襲いかかってくる様子はない。
「あの男、ラドウの力は我々の知るどんなモノとも違う。アレが操る闇は死をもたらすものではないのだ。」
どこか哀れむように阿修羅丸は言った。
「どういう事だ?」
「もっと恐るべき力。死ではなく消失。」
荒王の問いに彼は淡々と答えた。
「ラドウの力は因果律に干渉し、物体の・・いや、魂の存在自体すら抹消する。」
「あの闇に飲まれたモノはもとから存在しなかった事になるのだ。与えられた傷は通常の手段では癒える事はない。・・・きさまは新たに失われた部位を再生したようだが、完治するまでは、魂に受けた傷が癒えるまでには時間がかかる。」
“そんな力が存在するはずがない”
荒王の理性は阿修羅丸の言葉を否定した。
“因果律に干渉し、存在を抹消する?・・・それは人の身が持ちうる限界を超えている。それは、世界を歪める力だ。”
だが、彼の本能が阿修羅丸の言葉が真実であると告げていた。
「不運・・・とは、言わぬ。」
阿修羅丸が荒王の思考を遮るように呟いた。
「ただ・・残念だ。貴様との闘いをもっと続けていきたかったと、そう思うぞ。」
そう言うと彼は腰を落とし、右腕で大刀を担ぐような構えをとった。
「むう。」
荒王が低く唸る。
彼は眼前の敵から、今までとは比べモノにならない程の強大な殺気を感じていた。
「我々の力は伯仲している・・・しかし、それは危うい均衡だ。ほんのわずかなほころびでそのバランスは崩れる。巨壁が小さな亀裂から崩れるように・・な。」
阿修羅丸の全身が大きくたわめられ・・・そして、駆けた。
[ No.604 ]
天啓の宴──魔性の欠片
Handle : “那辺” Date : 2001/10/12(Fri) 03:04
Style : Ayakashi◎●,Fate,Mayakashi Aj/Jender : 25?/female
Post : B.H.K Hunter/Freelanz
ほのかに揺れる洋燈の光が、手元の琥珀色の液体を照らし、その色と薫りに昔出会い去っていった男の面影を記憶の奥底から蘇らせた時だった。奇麗に通るソプラノの声が、問うたのは。
J.ディケンズ?北米の地元にしか無い良い酒呑んでるのね、と。
廃れた路地の奥底に、那辺の記憶の如く忘れ去られたように佇む小さなバーで、魅力的な緑眼が、見返した那辺の弥勒に写り、思わず笑みを浮かべさせた。
今にして思えば、それが【金字塔】YUKIとの初めての出会いであったのだろう。
▼YOKOHAMA LU$T LIMNET Yokohama Arklogy 最下層部 「墓場」
紅茶の入った薄い陶器の器を口元に持っていくのを止め、YUKIは突如中を仰いだ。
“やあYUKIの姐さん、元気そうで何より”
「……那辺!?」
驚いて呟いたつもりが、思ったより大きな声になってしまっていたのか。YUKIの反応に墓場にいた一同が彼女の方を向く。
その反応に知己から連絡が入ったのだと、解るようにふと吐息を吐き、肩を竦めて見せた。
YUKIの心の内に、銀髪と弥勒姿の独特の笑みを浮かべた友人が像を結ぶ。
“まずは、姐さんに礼を。あたしの分もカバーしてくれたんだろ?なんとなく──解ったよ”
『それはいいんだけど……あんた、調子はどうなの?』
心底から身を案じるYUKIのコトバに、那辺は大袈裟に肩を竦めてみせる。彼女の識る姿、ままで。
“それよりも姐さん、あんたに頼みたいことがある。ネットコンサートの経験はあるんだろう?”
『あるわよ、それで?』
“今、LU$Tに住まう人々は精神(ココロ)が繋がっている状態にある。その状態にある人々すべてに、訴えかけて欲しいんだ──本当に、真に戻りたい場は、何処なのかと思い起こさせるように”
何処かで響いているのかの如く、リフレイン。YUKIは端正な唇をきつく結ぶ。
“一番誰しもが戻りたい場って、本当は些末な、些細な、小さなものじゃないのか。そして、あんたの詞(ウタ)だからこそ、それを気付かせる”
永遠の刹那の2秒。のちYUKIは唇を開いた。
『いいわよ、でもかわりに約束しなさい』
約束という科白に、那辺の唇に苦笑が浮かぶのを構わず、YUKIは言葉を継いだ。
『今度のアルバムのジャケットはあんたがモデルだって決めているんだから、必ず撮影にきなさい。いい、必ずよ?』
僅かな間の沈黙、それからまいったねとばかりの肩を竦めた了承の返事。
この僅かな間のやりとりで、二人がお互いの目指す地点を示し合わせる事が出来たのは、識人であるというだけでなく、互いが互いともそれ相応の修羅場を潜っているからであろう。
那辺が描いている絵図面は、はじめからなんら変わってはいない。
ただ、本当に戻りたいという些細な日常に、人心が回帰するそのなゆたの果てに、CAST達すべての方向性を一致させ、複雑に描かれた八卦炉をLU$Tに過去起こった反転現象の如く、反転させようというのだ。
那辺の姿が独特の笑みと共に、YUKIの脳裏から消える。
またね、という科白を言いそびれた彼女は、いつかふらりといなくなってしまいそうな友人に言い忘れた事だけが、気がかりだった。
▼YOKOHAMA LU$T Chinatown "NEO関帝廟" 回廊
空気が、変わった。
ソレは、凍えるような怨嗟の声を、那辺の耳にはっきりと聞かせる程の存在感。
邪気。瘴気。凝った陰の主が放った声に、感電したかの如く那辺は自らの胸と頭を抑える。
頭が、割れるように痛い。心臓の上にいつのまにかあった痣が熱く熱く燃え、ソレが愛憎双方の感情を持って、彼女を蝕む。
瘴気の主は、そんな彼女の姿に笑みを結ぶ。
従ってしまいたい衝動と、引き裂き踏みつぶしたい衝動が混在し、理性を働かせなければ飛びかかってしまっていただろう。
が、彼女をここに至らしめた目的意識と識人の遺した煙管が、ソレを思い留まらせた。
間合いを計り、深々と吐息をはくと、真っ向から同じくする双眸を那辺は見据え、口を開いた。
「迎えに来ただって?……そんな事はどうでもいい。あたしにとって今一番重要な事は、あんたがどこの勢力に属し、何を望んでいるか、だ。それによっては協力しないでもない……」
痛みに耐えて那辺が吐き出したそのコトバに、片眼、片唇を奇妙に歪ませ、無言で嘲笑う。
──ナニモ、憶エテイナイノカ?
血の脈動がそう告げる。瘴気の主の詞の如く。
苛立ちを抑えるために、那辺は震える手元で煙草を取り出し、火をつけようとするが、何故かライターから火が着かない。
苛立ちをぶつけられた胸元の水晶の数珠が、乾いた音を立てて引きちぎられる。
「____いったい、いったいあんたはあたしのなんなんだ!ヘル・クリングゾール!!」
懐から、苦し紛れに勢いよく護法符を引き抜く。
......"Mebius Ring" a Defect of Memory.
那辺の魂の叫びは白い闇の中に幾重も木霊し、自身が閉ざした記憶の彼方へと誘おうとしていた。
>>>>>[Announcement of Council of N.A.(participate of Code;FXML-DFX102)
Council recognized to solve the serial affair "Alastor Project" in Yokohama LUST by the way to murder or arrest Miss Guernica Randou and Miss Nahen.
Coution. Now Lust is under martial law by NOVA Forces.
Pale-Rider is assembling to an urban development building of LU$T city part redevelopment division. ]<<<<<
──message by Quon.
乾いた電子音を立て、久遠の構成したAIがもたらしたメッセージが、徐々に欠けていく白い闇の狭間からの月光に照らされ、なお乾いてとどろいた。
ソレは、残酷なる天啓の宴の始まりに過ぎぬ。[ No.605 ]
ひとつの推理
Handle : “女三田茂”皇樹 Date : 2001/10/23(Tue) 02:59
Style : タタラ● ミストレス トーキー◎ Aj/Jender : 27/♀/真紅のオペラクローク&弥勒
「紅さん、煌さんをおねがいできるかしら?」
「それはかまいませんが、いったい何を?」
思い当たる節はある。
戒厳令と同時に編成された軍は、陸海空の3方面から進行してくる。
が、その動きはようとして知れない。軍が情報を握っていることを差し引いても、ウチの社員、マリオンの社員、なにより何万というフリーのトーキーがまったく情報を集めることができないという事態があるだろうか?いや、ありえない。ならば…!
やがて、ひとつの結論にあたった
情報が入ってこないのは、軍の動きという情報はないからではないだろうか?
もちろん目的もないまま軍を動かすわけはない。
重要なのは、事態の収拾ではなく収拾後に軍がいること。
事後処理の名のもとに軍を動かし、LUSTに駐留する。そしてそのあとも居座りつづける…そう、かつてN◎VAを制したときのように。
軍の動きがまったくないこと、マスコミだけではなくLUSTの警察にも情報が入ってこないこと、そしてN◎VA軍の持つ力の使いかた。おそらくこの推論は差ほど的をはずしてはいないはずだ。
これをとめるには、今ある勢力でN◎VA軍より早く事後収拾の実権を握らなければならない。そしてそれにはうってつけの人物を、幸いにも皇は知っていた。
和知真由美とゴードン・マクマソン。
彼らが事後収拾を押さえきれれば、N◎VA軍とて介入はできないはずだ。
そこで、皇は二人に会うことを思いついたのである。
時間はない。この事件が結論を迎えるまでに、このことを伝えなければならない。
最悪間に合わなければレッドに乗せてN◎VA軍進駐の真相を公表する。イワサキと千早のバックアップが得られないので、このときの危険度は高い。
「みんなが戦ってる。あたしも…できることをする」
高くそびえる城下町のほうをめざし、皇は一歩を踏み出した。
「はい社会部…班長おつかれさまです!」
菅野がすぐにメモを取る。トロンでの記録は危険なので、今でも新聞はメモを取ることが多い。
「はい…軍の情報を整理…軍が動かないという証拠を手に入れるんですね?了解です!」電話の受話器を押さえ、次々と指示が飛ぶ。
「まず軍に詳しい情報屋を探せ!ただし絶対に感づかれるな。それから軍の行動スケジュールが発表されたら、すぐに真偽を調べろ。班長の話がホントならば、おそらくそれはダミーだ。いいか…」
一度呼吸を整える菅野。
「班長が言うんだから間違いない。軍は行動を起こさないはずだ!」
[ No.606 ]
Tenshi
Handle : シーン Date : 2001/10/26(Fri) 01:08
▽A coordinates position -- unknown
黒人のアイコンが無い目を見開き、火球に包まれたまま立ち上がる女を睨みつける。
そしてまた煌も、そのグリッドとは階層の異なる場所で、目の前の_________火球に包まれる天使のアイコンをじっと見つめた。
<過去、中華街で発生した事件の中で___________________>
レポートの出だしは、そう始まった。
複雑に連なる情報の・・・一連のLU$Tや中華街における事件、そしてアラストールに関する多数の調査文献がデータの結晶として纏められている構造物を、触れれば壊れてしまう硝子細工へと優しく接した。
メレディー・ネスティスとは一体何者なのか。
旧日本海と呼ばれる干上がった大地で、過去に北米が遂行した作戦に参加していた事は既に記録として理解している。
だが未だ謎なのはメレディーを構成する一切の情報が、四天使と呼ばれるアラストールに連なる光の【神威】クレアとして存在がトランスレートされてしまった現実だ。
煌は自分の身の上に起きた霞のような記憶に呼び覚まされ、まるで共鳴するかのようなメレディーを・・・自身をそれまで取巻いてきた境遇と、それまで彼女が選択してきた解答を指し示す情報へとアクセスする度に身を震わせた。
自分にとって大切な人達が織りなした時間と結果。そして出てくる幾つもの単語の意味。
どの情報に触れても、彼女がそれまでに奏でてきた血肉の通う一つの生命体が叫ぶ悲しみと怒りが、何処までも深く刻み込まれていた。
それは華やかな肩書きをもつ【フラットライン】ではなく、これまでも同じように自分が戦ってきた懸命に死と闘う、生命が奏でるクロックリズムだった。
煌は頭を振った。
一体どの記憶が、彼女が_______自分が識るべき“想い出”なのか。
自分の中に埋まる“欠片”が、本当に共鳴のトリガーとして作用するのかどうかは今は考えるべきではないのだろう。黒人は、そう自分に告げる為にネットコンサートという反作用のトリガーを引いたとも云える。
「フラットライン・・?」
彼女はもう一度、解放を告げ、まるで全ての謎を解き明かす呪文であるかのようにその名を呟いた。
刹那、電光のように彼女の脳裏で一つのイメージが閃く。
死を目前にしたアンソニー・ブラスコの前に佇むメレディーが・・彼女自身が二度目の死を受け入れようとする瞬間・・・様々な情景が、まるで幾片にも分かれたパズルのピースのように浮かびあがり、ぼんやりと形をなしていくのを煌は確かに感じた。
「わかった・・フラットライン。それがキーワードだったんだ」
煌は視線を定め、目の前の細く蒼いグリッドを注視した。
「死を感じるとメレディーさんはとても動揺する。それは、あの人が誰よりも身近に死を感じ、受け入れているからなんだ」
煌は、自らの思考を整理するかのように、呟いた。
そして、その声は徐々に確信を帯びた強い抑揚へと変わってゆく。
「・・・今もあの人は死を恐れている。身近にあり、決して抗う事のできない死の影に・・・」
[...答えはでたの?]
ツァフキエルの問いに、煌はゆっくりと頷いた。
「まだぼんやりと、だけど・・・見えてきたよ」
[...どうするの? 時間はないわよ?]
「方法はあるわ。私自身が・・・」
久遠は強い意志をこめてその言葉を口にした。それは、最後の一歩を踏み出す勇気を自らに与える為だった。
「フラットラインを超えるしかないね。」
[...久遠?!]
ツァフキエルの声が悲痛な響きを帯びて電脳の空間にこだまする。その声に煌はもはや答えず、まばゆく輝く火球を見つめ続けるだけだった。
光の天使、【神威】クレア・・・そしてメレディー・ネスティスを。
「今こそ、私の命と全てをブレットにかえて、トリガーを引く時なんだ・・・」煌がグリッドから一歩踏み出した。「A di shuta dia, La dia. Zhan______________________」
その言葉が終わるよりも前に、ツァフキエルが激怒して叫ぶ。
[...久遠!? 馬鹿なことしないで!!! 貴女までEDENにたった一人でダイヴして______________一体どうするつもりなのッ!!!!]
煌は静かに微笑みながら、手を振った。有無を言わせずに、そのグリッド上の構造物の支配者の指令を受け、ツァフキエルとの接続を示す幾つもの構造物が次々とクローズしてゆく。
やがて、目の前の火球に包まれたクレアの頤から、ザワザワと、生前の声の面影もない音があるはずもない空気と共に洩れて出してくる。
[...久遠]
彼女も煌と同じように左手をゆっくりと持ち上げた。彼女がその指を目にも止まらぬ速さで一閃すると無い空気がざわめき、グリッドが激しく振動した。
やがて彼女と煌を繋ぐほぼ直線状に、一本の蒼く、どこまでも細いグリッドが結ばれる。
クレアが、カラカラと音を立てるようにして顎を揺らし、笑った。
だが煌は、静かにじっと彼女の両目を見詰めたまま微笑み、更に数歩歩み寄りつづけた。
[...貴方をその世界に取り繋ぐ、全ての友人と・・・そして、貴方を守ろうとする全ての者達に。時の選択を]
クレアが聖母のような笑みで、煌に静かに言葉をかける。
煌はただこくんと首を傾げると、静かに微笑んだまま小さなその口を開いた。
[...どうして? ・・・あたしは帰るよ。みんなの所に帰るよ。メレディーさんと一緒に、帰るの]
[...帰る? 何故?]
クレアが煌を真似て、こくんと首を傾げる。そして白い歯を僅かに覗かせ、にっこりと微微笑んだ。
[...わたしは少し先の未来をへと帰るわ。そう、みんなの所に帰るの。久遠___________________貴方を連れて]
煌とクレアを繋ぐ細いグリッドが放電を始める。
煌は、彼方で肉体が悲鳴を挙げる声を聞いたような気がした。
だがそれはおくびにも出さずに、クレアの言葉に同じ様に首を傾げてくすくすと微笑んだ。
[...どうして?「今」は、嫌いなの?]
[...今の状態では、間に合わないわ。今のレベルにある人殻では、内包するその人魂と違い、目は移ろうものを見、耳は魂の声を聞かず、口は真言を唱えず、意は業と因果に流される。それに、電脳の径-みち-を歩む術を見つけたにせよ、その納まる殻を包む防壁の厚みに妨げられて、同朋を喰らい、今は堕ちるのがせいぜいね・・・きっと]
クレアは微笑んだ。
[...今のままでは間に合わないのよ、久遠。私達は、その少し先の未来にある「今」を手繰り寄せる為に、歩まなければならない]
煌は、初めて口を真一文字に結んで叫びだしそうなはやる気持ちを、必死に押さえ込んだ。
[...ねぇ、何に間に合わないの? ねぇ、メレディーさんは何がしたいの? 何を望むの? 何を・・・見ているの?]
煌の質問に、僅かな戸惑いも一切見せずにクレアが答える。
[..._____________人が移ろい彷徨う、終わりなく紡がれるその糸に。
人がその糸を辿る時間に、長い時間は残されてはいないわ。
私は、人が転移-シフト-するべきその防壁を薄くする為に、“彼”を降ろすことが最短だと考える。その為に、目にするべきものを観、望むべきものを手にするべく望みを抱いて、この“時間”の海を渡っている。
人が限りなくその防壁を薄く出来うるのであれば、どんなに困難さを極める障害が訪れたとしても、やはりどんな事をしてでも乗り越えなければならない。
・・・・・・・・何れその刻-とき-は、誰にでも須らく訪れるのだから]
煌は静かに口を開いた。
[...進化? 進化が待っているとメレディーさんは言いたいの?]
静かに呟きながら、更に数歩進む。意識は思いついた言葉を呟くだけで肉体は余りいう事を聞かず、まるでにごった鏡に映る姿を演じているようだった。
煌は真っ直ぐクレアを見つめた。
[...メレディーさんは・・・人を人じゃないようにしたがっているみたい。
異なる文化も、言語も、意識も、様々な壁を乗り越えて・・・みんな一つになればいいと思ってるように聞こえる。
個にして全。全にして個の存在に。
でも________________それって、人じゃないよね?]
クレアが、静かに口元に笑みを浮べる。
[...そもそも、貴女達の世界を包み込んでいるテクノロジーは“神”を知り、“意識”を悟り、全てと一体になる為に培われてきた太古からの手段の現われの一つよ。“進化”はただそれの一過程に過ぎないわ、久遠。
人の内面が善悪を知り、それらと一体になるまでには遥かな時間がかかる。
残されているのならばいいわ・・・・みんなの時間が。それならば、そもそも私もこうやって貴女を迎えに着たりはしない。
でも、私はその時間が残されていないのだという現実のひとつを知っている、観てきている]
クレアは頤を震わせて笑った。
[...人はまだ、“時間”を無理なく転移-シフト-する術を知らないわ。
必要がないからじゃない。そもそもの難易度が高すぎるのよ。手段も何もかも全て。
私が知る限り、“時間”を無理なく移動できる術と隣り合わせなのは、電脳界だけよ。
アストラル界は、その霊殻を厳しく問われる。何よりもそれは、彼・・・ジョニー・クラレンスを糧にした那辺自身が良く知っている。
全ての存在には、輪廻転生が必要よ。永遠なんてものはありえない。それは電脳界も然り。
そう____________無論それは電脳に住まう私達も、原形界にとどまる人殻とその魂も。そしてそのたゆたう海の存在の核となるアストラル界にも洩れなくね。
久遠、霞を糧に、人は転移-シフト-できないわ。
手にするべき、“何か”が必要なのよ]
煌は音にならない溜め息をついた。
ゆっくりと瞳を閉じて、開く。その奇妙な沈黙は、サイクルを故意に遅らせた、その、反応速度だった。
[...メレディーさんはお母さんなんだね。
まだ成熟しきってない子供達を、その限られた時間を、憂いて大人にしようと必死に手を差し伸べてる。
子供達が死んでしまわないように。
大きな闇の中で、みんなを守るお母さんの為に。
・・・でも、その方法でも無理があるんだよ、メレディーさん。
死んじゃった子供達は沢山いるんだよ。
あたしのお友達も……霧に飲まれて、死んじゃった。
みんながみんな、大人になれるワケじゃないのに___________]
煌は声を初めて荒げた。
[...ねぇ! それでも本当にいいの?!!]
[ No.607 ]
はらはらと舞う雪になって 昨日を渡って 明日へゆこう
Handle : “ツァフキエル”煌 久遠 Date : 2001/10/26(Fri) 22:55
Style : 舞貴人◎ 新生路=新生路● Aj/Jender : 22,Female/ In Web... "Little Six-Wing'z Angel" I-CON
Post : カフェバー “ツァフキエル”マスター
『……ねぇ、これはなぁに?』
幼い少女の手が、空から降るそれに手を伸ばして触れた。
“それは雪だよ”
『ゆき?』
少女の手の中で白い綿毛は静かに融ける。
何もない自分の手をじぃっと見つめた。
“寒くなると、雨の代わりに降ってくるんだよ”
変なの、と呟いて少女は空を仰ぐ。暗く重い、のしかかるような
……窒息しそうな圧迫感を与える鼠色の雲。
その中で、柔らかく降り続ける白い雪。
『あめが「しんか」したの?』
“良く、難しい言葉を知っているね”
『ごほんでよんだの。ねぇ、これって「しんか」?』
柔らかい微笑が零れて、相手は小さく首を振る。
“違うよ。寒いから姿が違うだけで……元々は
「同じもの」なんだよ”
『……おんなじなの?』
“おんなじさ”
はらはらと、雪が、降り注ぐ。
「ねぇ! それでも本当にいいの?!!」
久遠が叫ぶ。僅かな怒りと、多くの哀しみに彩られた声で。
その声に、様子に、クレアは静かに髪をかき上げるだけで微笑を崩さない。
硝子玉のように透き通った瞳は、けれど先の見えない暗闇のように窺い知ることの
出来ない光を舞わせている。
「それを選ぶのは、自分自身……当事者本人達よ、久遠。
人殻から仙殻へ。仙殻から神殻へ。 人の思いがそこに留まることもあるでしょう。
自らに訪れる“時”の流れを信じて。
久遠、私は貴方に告げなければならない。
“時間は決して流れない。
ただ広がっているだけ。
その海を私達の意識が・・・魂が渡ってゆくのよ”
私はその、選択肢を選ぶ機会を用意するだけ。
その機会とタイミングは、四天使に限らず、舞台に上る全ての者達がそれぞれの思惑で
考えていることでしょう。
でも、その選択肢だって、突然に現われるのではないわ。
いつだって、その瞬間は隣り合わせだったのよ」
その瞳を見ていられなくなって、久遠は小さく俯いた。服を掴む小さな手が震えている。
「――――――広がりきったらどうなるの?
意識は、ニューロンの海をただ広がらせて、惑星を包んで、宇宙の闇を包んで、
時間を超えて――――――飽和しきったら、一体どうなるの?」
「最初から、飽和をむかえているし、そうでもないのよ……久遠。
貴女のいう、“今”がこの瞬間だというのなら、自身がその際に選んだ選択も境遇も
最善の瞬間だということになるわね、久遠。
でも、だからといって貴女の知人達が迎える“酷くゆっくりとした死”をも……
受け入れられるというの?」
……宣告。
確かな事実は、目を背けていたい現実の姿を確実に現す。
今、自分たちを包んでいる風景は――【光の天使】の影響か――全てが白に染まっている。
病室のように。
雪原のように。
何もかもあり、何もない、白。
残酷なる慈愛でもって、全てを塗りつぶしてしまう色の中で。
久遠は、一人だった。
「ねぇ、メレディーさん。
もしもあのときに、こうしていればって……そう思った事、ある?」
「ないといったら嘘になるわね、久遠。私の記憶が――――――」
クレアがコツコツと側頭部を叩き、にこりと意味深げに微笑む。
「……知っているわ」
その仕草を、久遠は少しだけ哀しげに見つめる。泣き声が漏れるかと思った唇は、
意に反して静かな声を紡いだ。
「……未来を知ったから過去を、現在を変える。
そんな事をしても、元には戻らないよね。完全に戻るなら、時間は幾度でも
同じ事を繰り返すよね。
メレディーさん。
あたし、色々やりたい事あったよ。我が儘言った事たくさんあるし、我慢した事も
ちょぴっとあるよ。こうすれば良かった、なんて何度も思ったよ。
でも、それを違えれば、もう『あたし』じゃないんだよ。
メレディーさん。
メレディーさんは……何を、望んだの?」
久遠の声が小さな電気信号へと変換されて、波の様にクレアへと伝わってゆく。
だが、クレアは右手を一閃してその波を断ち切るだけだった。
「……ほんの少し先の未来へ。
人が進むべき未来へ。
そして何よりも、それが人の選択による未来である為に、現実をしる眼を持たせる為に。
必要であれば、私は鬼にでも悪魔にでもなるわ……久遠」
ぱたた、と。
今度こそ確実に瞳は光を零す。
けれど久遠は、クレアから視線を戻さなかった。
「……………………やだよ。そんなのやだよ。
鬼にならなきゃいけないようなことして、誰かが幸せになれるなんてことない。
硝子の荒野を裸足で駆け抜けなきゃいけない人を見て、痛みを覚えない人なんていないよ。
……………………メレディーさん。
あたし、この惑星-ホシ-が好きだよ。今の時間が好きだよ。
だから、無くしたくないの。変わる事はあっても、無理に動かしたりなんかしたくない。
みんなで一緒に、歩いていきたいの」
一瞬だけ目の前の女性が、暖かな微笑みを浮かべたように久遠には見えた。
それがすぃと消え、呟く。「両手を伸ばしてみなさい」と。
その意図を掴みきれぬままに、久遠は握りしめたままだった自分の両手を伸ばしてみせた。
「――――――貴女のその両手で……その想いで、一体何処まで届かす事が出来るのかしら」
一歩、踏み出す。手を伸ばしたままの姿で久遠はクレアに近づいた。
「……どこまでも。
どこまででも行けるよ。そこが現実世界でも、電脳の国でも。時間の海だって。
いつか朽ちて、骨も塵芥になっても。その想いは信じてる限り、絶対に消える事なんて
無いんだよ」
触れる程に近づいていた両者の距離が、久遠の小さな歩みでまた距離を無くした。
伸ばした手の、小さな指先がクレアの頬に触れる。
バチリ。
刹那静電気のような音と痛みを感じたけれど、久遠は手を離すことをしなかった。
その姿に、クレアは一つだけ瞳を瞬く。数サイクルの沈黙の後、静かな微笑を
持って自分の頬に触れる久遠の手を、少しだけ握りしめる。
「――――――夢を糧に、生きなさい……久遠」
紡がれた言葉。
何処か違和感を感じて、久遠は哀しげに彼女を見上げる。
「……メレディーさんは? ねぇ、メレディーさんは何処に行くの?
一緒に行こうよ。一緒に夢を見ようよ。
今すぐに急激な変化を起こすんじゃなくて、みんなで一緒におとぎ話の
緑の園で遊べるように、歩いてこうよ」
パチリ。再び、音が弾ける。
それと共にクレアの表情から完全に暖かい色が消えた。
「私にはもっと時間がないわ……久遠。
それに――――――もう、待つのはやめる事にしたの。
貴女が両手を伸ばした先があるように、私にもその先があるわ」
浮かべる静かな微笑。それが酷く痛くて、乾いたはずの久遠の瞳が再び潤んだ。
「夢を糧に生きることを忘れないように、久遠。
でも、私の中に住まう“彼女”に出会った時、貴女は同じ問いかけにどう答えるのかしら?
どんな言葉を口に、何を選択するのかしら……?」
零れ落ちた涙が足元に落ちて電気信号に変わるより先に。
久遠は思わずその身体に縋り付いた。
ギリリリリィィィ……と万力で何かを磨り潰すような酷い音がした。
脳裏で、パンと乾いた音を立てて白い光が瞬いた。
けれどそれらに意識を向けるよりも先に、久遠は自分がメレディーと知って慕っていた相手を、
クレアと名乗り艶やかに微笑んでいた相手をその小さな身体全身で抱きしめる。
幼い子供が駄々をこねるように、ぐずぐずと泣きじゃくりながら。
「…………メレディーさん。
一緒に行こうよ。ねぇ、みんな待ってるんだよ。メレディーさんの事、待ってるんだよ。
足りないなら、あたしの時間をあげるから。
道を忘れちゃったなら、一緒に手を繋いでてあげるから。
だから――――――……」
クレアが顔に驚きを浮かべて、僅かにそれに抗うように身を捩る。
危険だと。彼女の中で何かがそう警告した。けれど何処か奥底で泣きたい程懐かしいという
感触を回帰していることを「識った」。
視界が周囲の白に塗り潰される直前に、久遠の声が響く。
「ねぇ――――――
いっしょに、いこ……………………」
白い光が、歓喜の声をあげる。
Freude!Freude! 歓喜よ、歓喜よ、
Freude,schoner Gotterfunken, 歓喜よ、美しい神の閃光、
Tochter aus Elysium, 楽園からの娘よ!
wir betreten feuertrunken, われらは熱情にあふれて、
Himmlische,dein Heiligtum. 楽園に、汝の聖殿に踏み入ろう!
Deine Zuber binden wieder 汝の魅力は世の態により
was die Mode streng geteilt, 厳しく引きはなされたものを再び結びつける。
アイコンが重なったその直後、二人が立っていた交点のグリッドが爆散する。
グリッドの交点から外れた二人のアイコンが、幾つもの小さなポリゴンへと分解してゆく。
それはさながら霧が散るかのように、幾つもの階層を経た場所に存在する黒人と
ツァフキエルには見えていた。
alle Menschen werden Bruder 汝のやさしい翼のとどまるところ、
wo dein sanfter Flugel weilt すべての人々は兄弟となる。
Wem der grosse Wurf gelungen. 大きな贈物をうけたものは、
eines Freundes Freund zu sein, 友のなかの真の友たり、
wer ein holdes Weib errungen, いとしき妻をえた者は、
mische seine Jubel ein! 歓呼の声を和せよ!
Ja,wer auch nur eine Seele そうだ、地上にただ一つの魂を
sein nennt auf dem Erdenrund! 自分のものと読んでいる者でも!
Und wer's nie gekonnt,derstehle そしてこれを今まで知ったことのない者は、
weinend sich aus diesem Bund! 泣き悲しみつつこの群れから去れ。
Ja,wer auch nur eine Seele usw. そうだ、地上にただ一つの魂を…
はらはらと。はらはらと舞い落ちる雪達は羽根のように軽く白く。
子供達は歌った。声を高らかにして。
――――――電脳の世界に、雪が、降り注ぐ。
http://plaza.across.or.jp/~ranal/master_nova/quon_nova.html [ No.608 ]
Biometrics
Handle : シーン Date : 2001/10/27(Sat) 00:29
▽A class is transferred: [Inside of the direction affiliation LIMNET-P company structure of LU$T]
俺への。そして全く異なった階層軸に立つツァフキエルへのシグナルも混線している。
ディスプレイを通してモニタリングしていた、グレンとハーデルが同時に声を上げた。
「おい、シグナルが消失-ロスト-しかけているぞ!! 黒人!!!」
[...煩い、喚くな! 声に出さなくても、オレには見えている!!!]
俺は最初、自分自身がホワイトリンクスへのチャネルになる事を考えていた。どう考えてもその方が目的への距離は近く、クルードだが楽にこなせるビズだと判断できたからだ。それにそのチャネルを設ける事で、LU$Tにまとわりつくナノマシンの霧に侵された人々の___________いや、正確に云えば彼らに埋め込まれたニューラルウェアの機構をプロセスごとドミネート出来るようになる。そうなれば、桁違いの規模でクラスタリングされた処理能力を得る事になり、更にそれをサポートに廻す事で煌が持つ閾値をより高みにシフトする事が出来るようになると考えたからだ。
「黒人、先輩が!!」
今度は、墓場を伝って御厨の悲鳴に近い叫びが俺の構造物を鳴動させた。
[...解っている!!!]
俺は半ば激流のような処理を、全てホワイトリンクスをエミュレートしているクローソーを通してYUKI達が謳い上げる“音”に融合するべく同期させようと格闘を続けた。
歌だけでは足りないというのか?
N◎VA中の殆どのIANUSへとウィルスを浸透させるに足りた手段を以ってしても足りないというのか?!
霧を構成するナノマシン達の連鎖作用を受け、クレアがメレディーを通して絶大な手段を獲ている事は確かな事実だ。
そもそもの霧の母体でもあるホワイトリンクスをエミュレートする事で、その亜種であるLU$Tを包む霧へと効果が期待できるワクチンをアテンドする。それも過去の事件でも用いた軍用の凶悪な能力を秘めた“厦”を原株として培養し、トリガー・ウィルスとしてYUKIが謳い上げる音に載せて打ち放つ。
それがこのエコー・・・-ネットコンサート-だ。
ホワイトリンクスの開発元である北米連合の軍用CODECを用いる事で、通常であれば霧のコントロールに必要なルートが確保できる解読キーとして効果を出す筈だった。そして結果的に、それは霧の拘束効果をも中和する筈だった。
離れた俺の肉体が、ギチリと歯を噛み鳴らした。
確かにその効果は出ている。
だが今はっきりとしているのは、そのワクチンが効くスピードよりもゲルニカが蔓延らせた霧を構成するナノマシンのウィルスが媒介するインフォメーション・フローの方が、桁違いのスピードを有しているという事だ。
「歌」が必要だ。
俺はそうYUKI達に声をかけた。
今回の問題に彼女が干渉するのはそぐわないと解かっていながら、御厨にも声をかけた。
それは、ゲルニカ・蘭堂がホワイトリンクスの基礎理論を作り上げた張本人だから、恐らくそのCODECを基に攻勢をかけてくると踏んでいたからだ。
同じアプローチを踏むのであれば、ある意味そのホワイトリンクスへと距離の近い社の人間を使うのは、尤もな道理だ。
俺は無意識に無い身体で舌打ちしながら、YUKI達が作り上げている音叉の結界に構築した構造物を通し、もう一度映像をリプレイする。
一緒に行こう。
確かにそう呟き、煌とメレディーの二人は爆散した。
俺はその数秒間の映像を繰り返しリ再生させながら、穴が空くほど見つめた。
二人が立っていた交点のグリッドが爆散する。
グリッドの交点から外れた二人のアイコンが重なり合い、幾つもの小さなポリゴンへと分解してゆく。
その様を、幾度もじっと見つめた。
ホワイトリンクスが原子核結合を構築するように各自間の一つのルートを確保するのならば、酷く遠回りにはなるもののゲルニカ本人と同じルートでありながら、僅かに異なる手段でアプローチする方が今回は有利だ。
またそれは何よりも、様々な意味でホワイトリンクスの遺伝子をもつ霧の存在に、直接的に干渉する為の手段ともなる。
一方向から無作為に構造解析を行うと、ナノマシンのセキュリティが起動してその回線だけが自己崩壊する。
つまりそれは、不正アクセスを認識するとし自らを融解して接続を断つ。そして今度は異なった形で互いに自己を再構築する。
嫌になる程に創りこまれた微細なシステムだ。
ゲルニカの作りこんだシステムには、事実上エントロピーを齎すことは出来ない。
だが、融和することは可能だ。
[...全てを一度、何もかもとことん棄ててしまえばな]
俺は、定まらない推察に苛立ちを憶えた。
たった今爆散した二人は再構成の為にブレイクしたのか。それとも、シグナルが指し示しているように本当にデジタルな存在を自らデリートしたのか。
どの選択も、神憑り的な電脳への感応力を身につけている二人にはその可能性が残り、どちらの選択肢もそれぞれにエンディングがあり、リアリティがあった。
だが初心に立ち返り、煌がいつも口にしていた思いの丈を考えれば・・・答えは明白だ。
俺は、冷たい笑みで口元を歪める。
煌が選ぼうとしていたであろう選択肢は、以前のメレディーの時の様に、双方が直接ドミネートの為に深く相互にダイヴして干渉する方法だ。そしてまたその選択肢は、クレアも同じ様に選んだのだろう。 しかしその電脳的手段は、その手法が高度すぎて現在の座標からでは俺達がエミュレートする事は事実上不可能だ。
ならば、ゲルニカがホワイトリンクスの亜種を電脳的手段として以って、いかに干渉することで汚染させようとしているのかが大きな問題になって残る。その問題は、そもそもが今はクレアとメレディーが立っている双方の舞台に影響する筈だ。
ゲルニカの思惑は、単にデヴィア・インプラントをインストールして、多くの魂とそれが納まる人殻にビルドさせるだけなのか。それとも・・・
俺は、突如、氷の様に冷め切り閉じられた空間に融解してその姿を現した自らの脳体内部の記憶に声を上げそうになった。
『過去を・・・記憶を遡るのは本当に最後にしたいね』
『主観で時間が流れていると錯覚している?』
『だって、戻れなくなりそうじゃないか』
『御前は何処に合わせるつもりなんだよ』
結晶体にに刻まれた幾つもの人格の記憶が呼び覚まされる。
俺は突然、ゲルニカが本当は何かを探し求めているような気になり、落ち着かない感覚に包まれた。
彼女が霧を介在して、人なのか物なのか、それとも魂なのか。言葉にする事が難しい何かを手に入れる為に存在しているような気がしてならなかった。
だが何故、ゲルニカなのだろうか? 彼女に固執しない方法もあるはずだ。
過去や記憶を通して“選択という名の手段”にダイヴするというよりも___________
俺は、視線を映像を映し出す構造物から逸らした。
そうか_________煌は・・・メレディーにダイヴする選択肢を選んだのか。
確かに俺のようなMMHはあくまでハイブリッドとしての完成固体だ。ナノレベルでの接続や融合は、インプラントを設けなければ行えない。それは、脳体すらも一部チップ化しているからだ。
俺が覚えている限り、F.C.M.で開発したナノマシンによるコミュニケーションシステムは、その母体が大気に溶け込んでしまうと接続にそれぞれ優先度を設ける筈だった。
物理固体に融合した回線には、その固体に直接接続しているものが最優先となる。
俺は苦笑する。煌め、例のレポートの記録からそれを割り出したのか。
メレディーとの邂逅は_________いや、クレアとの出会いから、煌はある選択肢を選ぶ事を決心したのだろう。
俺は笑う。本来なら脳体すら結晶へと移行した俺等MMHが機械的に上位層であるはずだ。だが、何時の間にかその順序が入れ替わり、ある意味、下層に置かれた様な気分だった。
抱き締めて・・・手を握るだけで、ダイヴする?
アプリケーション層よりも、遥か下層にある物理層も越え、“彼女達”は接続しようとしている。
それも、それは単にデータが結晶化した構造物ではない。
言うなれば________“魂”だ。人が精神と呼ぶ事もある、魂だ。
俺は嘲う。規則性を持たせた変数を値とした乱数表なんかじゃなく、ソレそのものを暗号化させてでも“彼女達”は選ぶつもりなのだろう。
俺は鮫の様に微笑む。
[...よう、皆さん。“彼女達”はどうやら縦じゃなくて、横に転移-シフト-するつもりみたいだゼ。
それもただシフトするんじゃない。時間を超えて広がる記憶と意識の海原にダイヴを始めたぞ]
[ No.609 ]
闇への回廊
Handle : シーン Date : 2001/10/29(Mon) 01:27
闇の中に白く浮かび上がる純白のスーツ、対照的な黒く艶やかな長髪。
彫りの深い、整った彫像のような白顔。
美しいとさえ形容できる眼前の男は、しかし外見とは正反対の禍々しい空気を纏っていた。
“デスサイズ”クリングゾール。
何という穢れ。
腐気が見えざる刃となって我が身を苛んでいるようだと、那辺は思った。
体中が熱を持ち、鈍く痛んだ。
ガクガクと膝が揺れる。
この場に膝を屈し、楽になりたいという衝動に歯を食いしばって耐え、那辺はクリングゾールを睨み付けた。
刹那。
入り口からさす光を背に立つ彼の足下に、那辺は大量の血溜まりを幻視した。
「な・・・?」
本当に幻なのだろうか?
那辺は自問した。
・・・否、私はこの男を知っている。
永遠に網膜に焼き付けられた光景。
決して忘れえぬ月下の姿。
私を永劫の夜へと導いた魔。
だが、しかし、思い出そうとすればするほど、記憶は鮮明さを失い、霧散していく。
ただ、この男を知っているという思いだけが、確信として心の底に存在していた。
「憶えていないのか・・いや、記憶を封じているな。」
夜目にもそれと解る紅瞳を訝しげに細め、クリングゾールは言った。
「封じている?何の事だ。・・・そんな事より、質問に答えていないぞ。」
「答えろ!」
語気荒く、那辺は詰め寄った。
「なるほど・・たしかに、愉快な思い出とは言い難いからな・・・よかろう。」
「ただ、答えはお前の中にすでにある。・・・呼び覚ましてやろう。」
クリングゾールは、口元を歪めクツクツと嗤った。
そして、魔眼を見開き、那辺を見た。
魅入られた。
そうとしか言いようがない。那辺は彼の瞳から目が離せなかった。
視界いっぱいに紅い瞳が広がり、そして・・・
そして、深い霧の底から記憶が蘇った。
あの忌まわしい、記憶が・・・
・・・・・・・・
深夜、私は不意に目覚め、幼い私を守るように、いつも傍らにいた老人の姿が消えている事に気づいた。
長い歳月を経た者が持つ、英知の輝きを秘めた優しい瞳。私の頭をなでる暖かく大きな手。
その全てが遠い昔の事のように思えた。
ブルリと身を振るわせ、室内を見渡す。
ガラスは当の昔に壊れ、ぽっかりと口をあけた窓枠から月の光が室内をぼんやり照らしていた。
人の姿はない。
街の喧噪も今夜は聞こえない。
完全な静寂。
世界に自分一人が取り残されたような気がして、私は立ち上がった。
ひたひたと、足音だけが暗い室内に響く。
住み慣れた廃墟の中、足は迷い無く出口を目指す。
次第に大きくなっていく不安。
思えば、私はこの時、決して引き返す事の叶わぬ永劫の闇に向けて歩を進めていたのだった。こんな薄暗がりではない、真の闇へと。
そして・・・
視界が突然開けた。
頭上には、月。
天蓋のような大きな満月。
住む者もいない、廃墟と廃墟の間のわずかな空間を、月光が目映く包んでいた。
降り注ぐ白銀の光、そして朱。
アスファルトの路面を余すところ無く覆う朱。
ビシャリ、ビシャリ・・
その朱い空間を無数の何かが、這いずっていた。
巨大な芋虫のような何か。
「・・・!」
息を飲む、などと生やさしいものではない。私の体は瞬時に氷ついた。
心臓の鼓動さえ止めてしまったように、私の体は瞬時に彫像と化した。
人・・・
見知った顔ばかりだ。
男の扱いを訳知り顔で私に教えた娼婦。
「おまえはきっとスゴイ別嬪になる」と私をからかった青年。
わずかな食べ物を私に分け与えてくれた、老婆。
皆、身よりのない私にとっては、家族と呼べる者達だった。
しかし、それはたった今失われたのだと私は、確信した。
手足をもがれ、あるいは体の中程から切断され、それでも自らの手から無慈悲にこぼれていく生にしがみつこうと藻掻く彼等。
一面を覆う朱は、彼等の体から流れたおびただしい量の血液だったのだ。
そして、その朱いプールの中央にただ一人、そいつは立っていた。。
月の雫を浴びたかとおもえる程、目にまぶしい白いスーツ。
対照的な黒く艶やかな長髪。
病的なまでに白く、彫像のように整った顔。
口元から覗く凶々しい牙。
紅唇から赤い雫が一筋伝い、白いスーツを汚した。
ソイツはまるで軽い荷物でも持つように、片手で人を持ち上げていた。
「爺さん・・・」
刹那、私は呟いていた。
危険だとか、恐ろしいとか、そういった感情は一切働かず、ただ言葉が私の口をついて出た。
持ち上げられ、まだ息があるらしくビクビクと痙攣するその人物は、私が探していた老人だったのだ。
英知の光はもはや、失われ、濁った瞳はそれでも私の姿を認めた。
声は出ない、しかし、老人の唇はたしかに動き、私に言葉を伝えた。
“逃げろ”と。
今まさに死と直面しているにも関わらず、老人は私の身を安じている。
涙が次々と頬を伝った。
人は真に悲しい時、心が涙を流すのだ。魂が慟哭するのだと言った老人の言葉を思い出した。それを他ならぬ彼の姿から実感しようとは・・・なんという皮肉。
“逃げなければ”頭ではそう思っているのだが、体が言うことを聞かない。
足は張り付いたようにその場を一歩も動く事が出来なかった。
そして・・・紅い瞳が私を見た。
それは、具現化した死、そのものだった。
私に何ができるというのか。
ぼんやりと、私もまた、ここで死ぬのだと思った。
しかし・・・死はいつまでたっても降りかからない。
「なるほど・・どうしてこのような所に来る気になったのか不思議だったが・・その疑問が今、解けた。」
人々のうめき声を制して、低くソレの声が空間を満たす。
楽しげな響きさえ感じさせた。
何を言っているのか解らなかった。
「これは、掘り出し物だ。・・・娘、おまえもまた、私と同じ獣の血を引く者だぞ。伯爵に名を連ねる者。真祖の一人だ。」
「獣?・・伯爵?」
何の事かはまるで理解できない、しかし、私の中に熱い炎が灯ったような気がした。
恐ろしい。
目の前の怪物が、ではない。私の中にたった今生まれようとしているソレが、私には数倍も恐ろしく感じた。
激しくかぶりを振り、後ずさる。
「恐れる事はない。娘よ。私の目を見ろ、そして朱い美酒でその喉を潤せ。・・おまえは選ばれたのだ。このようなとるに足らぬ家畜共の中で生涯を終える事はないのだ。」
ソレは片手を私に差し出し、そう囁いた。
魔眼が私の目を射る。
その紅は、まるで純白を汚すように私の目に染み込んで来た。
熱く滾る炎は、今や血液となり、全身を焼きつくそうとしていた。
ズキリ
耐え難い激痛に、私は身を振るわせた。
まるで、細胞の一つ一つにいたるまで破壊され、別の何かに作り替えられているようだ。
意識が遠のく。
息苦しい。
「ハァ・・・」
私の口から自分でも驚く程、甘い響きを帯びた吐息が漏れた。
唇に何か当たった。
堅い感触、犬歯・・いや、それは牙だった。
目の前の男と同じ牙が、私の口にも生えていたのだ。
おぞましさと驚きで体が震える。しかし、それよりも私は耐え難い乾きを知らず憶えていた。
喉が乾いた・・・
癒さなければ・・・
何かで満たさなければ・・・気が狂ってしまう。
「目覚めたな・・・いいぞ、望みを叶えてやろう。」
満足気にソレは言い、手にした者をこちらに投げてよこした。
ドサリ
中を舞い、足下に落ちる何か。
濁った瞳が私を見上げる。
その口が何か言葉を紡いだ。しかし、もう私にはソレが何を言っているのか解らなかった。
ただ、耐え難いまでの乾きを癒す。
その事のみが心を捉えていたのだった。
手を伸ばし、ソレに触れる。
あきらめたのか、ソレは抵抗を止めた。
ただ、瞳は私を見つめている。
再び、涙が頬を伝った。
しかし、感じない。
何も解らない。
私は口をその喉元に寄せ・・・
牙を突き立てた。
・・・・・・・・・・・・・・
「アアアアアアアアアアアア!」
那辺の絶叫が闇の中にこだまする。
それは、誕生の産声か?
それとも、一人の女性の断末魔の声だろうか?
[ No.610 ]
Bound by the curse.
Handle : シーン Date : 2001/10/29(Mon) 02:50
▽ダイバ・インフォメーション 社会部
「____________以上です。
これよりの情報開示におきましては、都市国家治安維持法の機密該当事項に関わりますので質問にはお答えできません」
社会部のデスクの一角に設置されている大型のモニター。その中で、落ち着いたグレーの上級士官服に身を包んだ報道官が手元に持ったケース付きの書類を両手で揃えている。
僅か数秒の間、画面に沈黙が訪れる。しかし画面内で続いて映し出された質疑応答が始まるや否や、一番側にいた他部のデスクが思わずボリュームをミュートにしなければならない程に騒がしくなった。喧騒に包まれた定点である筈のカメラ映像がブレ、それを目にした映像担当記者が舌打ちをした。
ほら、言った通りだ。向かい側の椅子に腰を降ろしている編集担当が呟く。
「有事だからな。報道管制がしかれるのはある意味当り前だが、会見がプレス向けにあるだけましだろう」
「そんなの評価に繋がるか。世論はどうするんだよ、世論は」
「そんなもん棄てちまえよ、今は。そう言いたいのさ、奴さん達は」
「なら、その捨て置かれる存在と一体になって向き合うのは俺達だろうが!」
終わりのない会話がとりとめも無く続き、菅野は黙ってそれを他人事の様に見つめていた。
確かに皇が言うように、NOVAやLU$Tにいる数万人単位の人の眼を欺く事は難しい筈だ。戒厳令が発令されているからといって、ここまで情報管制が結果として統制されるものなのかどうかもはなはだ疑問だった。
だがその情報の真意を確かめる確かな手段の一つが、今目の前で消えただけの事だった。そう、冷静に見つめるしかなかった。公式筋からの発表では、機密に関わると言う事で戒厳令下における上位司法にあたる軍の活動に関しては、その一切が伏せられた。有事下における絶対治安を最大の目的とする軍の配備となれば、確かにそれは尤もだった。
となると、後は軍の情報管制下にあるこの都市に散らばったトーキー達から何処までもしつこく情報を吸い上げるしかない。
菅野はあたりもモニターと同じ様に喧騒に包まれ始めた社会部のブースを見回して、静かに溜め息をつく。
たった数分で、オーケストラの様に統制が取れていた筈の“現場”に混乱が産み付けられている。
菅野は、もう一度溜め息をついた。
これか。これが目的なのか・・・
モニターから離れて、次々と投げかけられてくる各方面からの情報をデータに纏め、菅野は一本のシナリオを作ろうと必死になった。だが、どの情報もそれぞれがリアリティがあり、映像として添付される微かに蜃気楼にぶれるガンシップの機影等を見るに至っては、どの情報が本当でどの情報が偽りなのかがわからなくなりかけていた。
向けられた狙撃銃の銃口を、正面から双眼鏡で除くようなものだ。
何時の間にか額を滝の様に流れて落ちる、汗を手の甲で拭う。
皇さん、奴等は“俺達”に選択させるつもりだよ、そう____________あの時の様に。
------------
▽地上千早重工 執務室
触れた事も無い調度品で満たされているのかと思えば、意外な程に質素だった。
目の前で、地上千早の上位権限を自由に行使するその男___________ゴードン・マクマソンを目の前にし、皇は僅かな緊張を感じていた。
正直、視線の置き場に困っていた。
皇はいつも相手と面と向かう時、自分の癖の一つ、相手の鼻や口元を見る癖があった。 それはその表情を基点として相手の表情を捕らえた時、最もその真意が彼女なりに見えるからだった。
だが、目の前の男、ゴードン・マクマソンは一切の感情を垣間見ることも出来ないような、“穏やかな笑顔”に満たされていた。
その笑顔が、一切の感情を押し流していた。
皇は、再度たっぷりと20分をかけて菅野が送ってよこした各方面の情報を精査に説明した。
N◎VA軍進駐の可能性。LU$TやN◎VAを包み込んでいる霧の正体への見解。そして、大日本災厄編纂室とアラストールと呼ばれる存在に関してのレポート。
それらを“聞く事の出来る”一つの形に纏めて、彼に話した。
ゴードンは皇の説明に一度も口を挟まなかった。
皇が説明の言葉を終えるまで、ただ静かにじっと両手の指を組み合わせ、訊いていた。
その彼が、始めて口を開いたのは、皇が始めて自らの視線で彼の両眼を捕らえた時だった。
「解かりました、皇さん。こちらでもつかめている情報がいくつかはありましたが、こうしてダイバ・インフォメーションの皇さんに直接お話を頂ける“事実”には、何よりもリアリティがありますね」
ゴードンが初めてその笑みを、問い掛けに満たされた奇妙な表情へと、穏やかに________________静かに切り替えた。
「では、私も幾つかお話したいことがあります。
仮に進駐の可能性が極大だとしましょう。
であればこそ、貴女が私に話を持って来て下さった理由をお伺いしたいのです。
・・・えぇ、無論それだけではありません。 私が最後にもう一つお伺いしたいのは、対価です」彼が言葉を一度止め、静かに両手の指を組んだまま僅かに動かしながら静かに呟いた。「私の選択は、地上千早の選択として時に刻まれることになりましょう。 OK、縦しんば収拾したとして、どんな対価が私達に望まれ、その対価に見合う利権は、どのような形になって私達・・・地上千早の糧となって残るのでしょうか」
ゴードンが再度、穏やかな笑みでその表情を満たす。
「教えて頂きたいのです。
その選択は、我々に何を齎すのでしょうか?」
[ No.611 ]
血の砂
Handle : シーン Date : 2001/11/03(Sat) 22:59
▼ 漢帝廟 正面回廊
血が滲む傷の辺りを、静かに手持ちのファーストエイドで処置を始める。乱暴だが実に効果的なやり方で、シャツを破いて傷の辺りを締め上げる。これで暫くは持つだろう。上着を羽織り、漠然とそんな事を思いながら最後に髪を縛り上げた紐に、軽く手を触れる。
空を見上げるように上を向いた。
数秒前、空間が引き裂かれるような悲鳴を耳にしたからだった。
漠然としたイメージではあったが、それは恐らく空間の事象が捻じ曲げられた音だという事で理解する。きっと何処かの誰かが、ナノマシンの霧で濃密に構成された空間を術で捻じ曲げて転移したのだろう。それかもしくは・・・
「________とうとう、宴が始まったのですね。門が開いたか・・・」
驚異的に霊格が高まった聴覚が、様々な情報を“音色”として伝える。
ゲルニカが門を開いたのではないことは明白だ。
なら・・・誰が?
目を閉じてじっとその場に留まり、耳を澄ませる。
やがて静かに瞼の奥の暗闇に染められた脳裏に、黒と金に彩られた銃を手にする男のイメージが像を結んだ。
「草薙・・・潮。アラストールの四天使の1人ですね。なる程、彼が門の守護者だったということですか」
「彼女が・・・アストラル界から原形界に戻る瞬間に」榊は怪我など意に介さないように歩き始めた。
「貴女とてそのまま“そこ”から行ける訳ではないでしょう、ゲルニカ。
通るのですか?
___________それとも、“通す”のですか?」
[ No.612 ]
The other side of a wall -壁の向こう側-
Handle : シーン Date : 2001/11/04(Sun) 00:03
▼ 漢帝廟 外周回廊
「12番をよこせ、サンドラ!!!」
リョウヤがPVの扉を壁にして、車両の後部にいるサンドラに向かって叫ぶ。
彼女は耳を聾する銃声に顔を顰めながら、後部の貨物スペースから箱一杯の12番ゲージを取り出すと、リョウヤの身体に隠れるように近寄って渡した。
「巡査! 持ちませんよ!!」
サンドラの警告に耳を貸さずにリョウヤが扉の影からトリガーを引きて3発の散弾を撃ち放つ。
脇から差し出された弾薬を手に取り、扉を背にして屈み込み、数秒後にはまた、散弾を撃ち返す。
そんな動作を幾度か繰り返した後、リョウヤは荒い息をつきながらじっとサンドラを睨みつけた。
「オマエは何年目だ」
銃声の騒音に掻き消される事なく、リョウヤの言葉が彼女の耳に届く。
「は?!」
リトラクタブルになったフレームの脇から、ゲージを次々と押し込んで装弾しながら、リョウヤがもう一度声を上げた。
「オマエはこの街に来て、何年目だと訊いている」
その間にも鳴り止む事のない銃声と共に、雨のような銃撃がPVの扉を叩き続け、ポリカーボネイトと合金でを芯材にした扉がどんどんと歪み始めていた。
だがそんな事には全く臆する事無く、リョウヤが左手にショットガンを抱え、肩に掛けて杖の様にしながら身体を支えながら言葉を続けた。
「俺らの任務は一体なんだ?」
口元を歪めながら上着からポケットロンを取り出す。
それは、彼がディックにその番号を告げた端末だった。
サンドラが視線を数秒そのポケットロンに据える。そしてゆっくりとその視線をリョウヤの両眼に向けた。
「教えてくれ、サンドラ。 “俺達”の任務は一体なんだ?」
リョウヤはタクティカルショットガンの柄に左手を据え、何時でも撃ち返せる様にゆったりとした強張りの無い声で呟く。
「“他所”から来た俺と、この街にいる“オマエ”それぞれの任務をそろそろ教えろ、サンドラ」
キリーが煌を抱え、術で他区へと跳んだ。
紅と趙は、中央回廊前の広場から正面門の方角を静かに見つめる。
皇は、リョウヤとサンドラが脇の回廊から路地へと逃がした。
その場に居るのは、リョウヤとサンドラの二人だけだった。
「答えろ、サンドラ」
[ No.613 ]
終わりの始まり
Handle : 荒王 Date : 2001/11/04(Sun) 02:45
Style : Katana◎●Chakura Mayakashi Aj/Jender : 三十代後半/男
Post : 中華陰陽最高議会の使徒
かわす避ける受け流す。
相手の精神力と活力を削るには有効な手段だが、この状況に置いてそれ自体は大きな意味は持っていない。
もっと純粋な力比べ。それにうち勝つことこそがこの状況では必要なのだ。
「在れと言うて。無いならばな。それは我の脚ではないのよ」
嗤う。
いや、笑う。
鬼の笑みでは無い。人の笑み。この男にそれが残っているなどと思わなかった。
「負け惜しみなど聞かぬぞ」
熱く熱した阿修羅丸がふざけたことを言うなとばかりに剣を振り上げ、振り下ろす。無造作にしか見えないその斬撃も最高の技量を持つもの同士では逃れられない。
「何、そう難しい事では無い」
その斬撃を掌で受ける。掌から血がしぶき、骨は砕け、腕の半ばまで阿修羅丸の剣が埋まる。だが、それ以上は如何に力を込めようとも動かない。強靭な意志の力と気の遠くなる歴史を秘めた鍛錬によって鍛え練り上げられた荒王の腕がそれを全て巻き込んでいるのだ。
「このようにな」
荒王は変わらぬ笑みを浮かべたままその腕に力を集める。五体に散らばっていた力が一つに集まる。
集められた力。それはただあるというだけで大きな力を発するようになった。あらゆるものを引きずり込まずにはいられない。まるでブラックホールのような巨大な引力を発するようになる。
「くっ」
危険だ!
直感の囁くまま剣を捨て半歩下がる。虚空に剣を認識するとそれを再び己の手に修める。
剣を支えとし、大地に根を張る。一瞬でも気を抜けば吸い込まれてしまうような感覚は決して欺瞞ではあるまい。
風が止んだとき。目の前の男には傷一つ見あたらなかった。失われた筈の脚すらも再び地を蹴っている。
いや、違う。
あれは脚ではない。
剣だ。
先程奴の腕を切り裂いた俺の剣だ!
「無ければ補えばいいのよ」
鬼の笑みから人の笑みに人の笑みからまた違うものの笑みに。
相が変わる。
鬼のような嗤いがどこか優しささえ宿すようなそれに。悪夢の中の嵐が化身したかのような雰囲気が級に重たく変わる。存在感そのものを変えることなく、まったく違う者へと変わっていく。
穏やかな湖面を思わせるような静かな雰囲気。
だが、それは静かに見えるだけ。深く静かに流れる川は大きな力を秘めている。人の営みを簡単に壊してしまうくらいに。
鋼の様に重く鋭く冷たい。正に一振りのカタナと呼ぶべき存在がその存在の質を変える。大きく重く揺るがない節制と調和によってこそ産まれるそれをなんと表現すれば良いか。
「お前は誰だ」
言葉にしたつもりはなかった。だが、その意志自体が響き問いかける。
ここは現界ではない。意識と意志こそが力となる幽界なのだ。
「貴方は既に知っている筈よ」
目の前に居るはずのそれがぼやけて見えない。いや、今ここにあの”荒王”と言う存在自体が無いかのように。
これは誰だ?いや、なんだ?
疑念が渦巻く。
勝てるか?
荒王は確かに強い。だが、自分もまた強い。負ける気などしなかった。
だが、今のこの相手には?
「議会の裏切り者も考えたものね。何者も断ち切る金気を宿す剣。荒王を抑えるためにその天敵たる火気を宿すゲルニカ。そのゲルニカを抑えつつ荒王の力を我が者と出来る相性をもった水気を宿す阿修羅丸」
明らかにその声が示すのは”女”だった。
「議会の娘か・・・?」
あり得ることだ。荒王の立場と存在を考えればここであの才媛が干渉をしたとしても不思議ではない。
疑念が沸く。終わりなのか?
この楽しき一時の。
「いいえ、私も”スサオウ”」
だが、その疑念は結果的には杞憂だった。言葉と同時に発された闘気は決して先程までに劣るそれではなかった。
この女も強い。荒王が激しき暴風の化身だとすればこの女は深く熱き地底を思わせる巨大な力を宿している。
じり。
音の無い世界に微かなすり足の音が響く。
「仁姫と呼ばれていたわ」
生きている頃は。吐息のように僅かな思念だが、そこに詰まる思いの重さが耳に届かせる。
陽炎のように気配が揺らぐ。由来だ事自体が先駆けあり。即ち攻撃である。感じると言うことは既にそれを受けていると言う事である。
阿修羅丸の重い蹴りが何かを砕いた。
手応えはあった。だが、女は平然とした変わらぬ姿でそこに在り続けた。
「性というものがあるの。これが悪いと勝てるはずの実力差があっても負けるわ」
風が舞う。
阿修羅丸は蹴り脚を引き戻そうとして出来ないことに気付いた。女の腕が蹴り脚に絡みつき大地に根を張る巨木のようにびくともしないのだ。
「な・・・・」
驚きの声。
「荒王の性は金気。貴方の性は水気。荒王が強くなればなるほど貴方は彼に追いつくように強くなる。終わるはずの無い螺旋」
阿修羅丸を引き込み組み敷く。
無いはずの大地さえ、ここでは感じられる。
目の前のあの男がこの女に成った瞬間に。
「そして私の性は土気。貴方に勝ち目は無くなったわ。今、この瞬間に」
仁姫は阿修羅丸の唇と己のそれをゆっくりと重ねる。
力が奪われる。この瞬間にも強くなっていく。この女は・・・。
「我、荒ぶる魂達の王なれば、汝等悔い残せる魂よ。我に従え」
人の希望も絶望もその中に全て宿す不思議な瞳。柔らかなが黄色の光がうすぼんやりと見て取れる。
「否。我 闘う定め負いし阿修羅の化身」
歯を。膝を。肘を。掌を。脚を。足を。全てを武器と化し解き放つ。
「貴方も”スサオウ”となる資格を持っている。私を喰らうのも私が喰らうのもどちらも楽しいことだとは思わない?それに残された時間はもう残り少ないのよ」
たわめられた弓が矢を解き放つように二つの存在が交差する。
「
[ No.614 ]
GUNS and My Rows.
Handle : シーン Date : 2001/11/14(Wed) 05:27
▽LU$T再開発地区:廃ビル
通りの角に面した窓のブラインドを押し上げ、外を窺う。正面の旧台北路に何か光が見えたような気がしたからだった。だがその瞬間、本当にその視界に姿を捉えたのはまさしく偶然だった。
「おい、何だアイツは」
投薬の為に血走った視界でその姿を見つめながら、更に窓に寄り、側にいる二人の仲間に声をかける。
本来なら“誰も”通らない筈の、いや、通れない筈のこの通りに獲物を片手にした男が歩いている。「オイ________」溜め息が漏れる。男は、本能的に傍らのライフルを手に取った。
2秒後にはボルトを引き起こして、声高に叫んだ。
「ブラインドを上げろ!!!」
傍らの男達が慌てふためきながら、ブラインドを跳ね上げる。男はガラスの隙間から窓枠に銃身を載せるような格好で屈んだ。
何時の間にか、通りの男の姿は240ヤードを切る距離へと近づこうとしている。
男は一つ息をついてから、ライフルを肩に構える。しかし、照準を合せる次の瞬間、側に立っていた男が呻き声をあげて屑折れた。
倒れこむ身体が立てた音に驚いて数センチ飛び上がった瞬間、更に傍らのもう1人の男の後頭部が爆散する。
シャワーの様に部屋に撒き散る脳漿と、嫌に金属臭をたてる血の雨が視界を奪う。
ライフルを構えなおして頭を振り、男は唸り声を上げて肩を怒らせた。
トリガープルに指を充てた瞬間、男は照準器の視界の中で静かに笑う通りに佇む相手の視線とかち合った事に気がついた。
本能的に引き金を、3度引く。
だが、その銃声を自らの耳で捉えられたのは、2発目までだった。
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▽LU$T再開発地区:青面騎手幇 一角
12番ゲージの、指向性炸薬型のスラグ弾が音を立てて転がる。
「急げ! ありったけ詰めろ!!」先を切り詰めたタクティカル・ショットガンへ、僅かに震える両手に云う事をきかせるように声を荒げて地区の頭目のリャオが叫ぶ。
「ありったけの弾をマガジンに詰めておけ! 俺達が相手にする相手はそういう奴等だ!!!」
部屋に熱気が集まっている。
200人を超える、屈強の青面騎手幇の構成員達が思い思いの刀剣類や銃器を手に取り、上着や背負ったバッグを溢れさせんばかりに弾を込めてゆく。それは半ば強制的な強迫観念に駆られての行動に近かった。その精強さでは音にも聞こえる三合会の一角を占める青面騎手幇の構成員達が、正体の知れない震えと共に銃弾を込めてゆく様は、宛ら狂気の戦場だった。
一体、幾つの弾薬と鋭利なエモノがここに集められたのか。
間違えなく、これは戦争だった。
「裏切り者を、殺せ!!」
がたいの良い褐色の肌をした華僑が、身を切る鬨の声をあげる。
「血の制裁を奴等にッ! ビル・ゼットーへ!!!」
その部屋の一角で、幅広な出革張りのソファーに深く身を沈めたディックが吐息を漏らすようにして、静かな笑みを忍ばせる。その深い瞳の色も、静かに濡れている。
傍らで、彫像の様に部屋を見た渡していたユンの身体が本能的に僅かに身震いする。
「何もかもが尽きるまで走れ」ディックが左手でブローニングをユンの脇腹に押し付けた。「奴への事情聴取なら認めてやる。だが、その場には俺も同席させて貰う」
ディックが仄かに暖かみのある、静かな視線をユンに向ける。
「さぞ、楽しい場になるだろうな」
ユンの機械的な理性が、静かに闘争心を押さえ込んで黙り込む。
だがその闘争心を覆い隠しながら、尚広がる本能をユンは押さえ込む事に必死だった。
服越しにもわかるブローニングの冷たく固い感触に鳥肌を立たせるユンに、ゆっくりとディックが視線と顔を向けてくる。
潤んだような眼球が、何処までも深い色を湛えてユンを見据えた。覚醒剤のクラウドカクテルに濡れた瞳だった。
「歌え、ユン」ディックがブローニングをハーフコックにした。
数秒の間、二人の間に沈黙がおりる。ユンは身振りもなく静かに七言絶句を謳い上げ始めた。
その歌を耳にしながら、ディックは静かに目を数秒閉じる。
やがて静かに、閉ざされたその口を広げる。
「俺達が昇る最後の階段は、きっとまだ誰も昇った事の無い血の大地だ。 風も光も何も無い」
それまで聞いた事もないような諦観を帯びたディックの言葉に、ユンは自分が激しく掻き乱され始めている事に気がついた。だが、それは遥か数十年も数百年も前から決められていた物語の台本の様に、自分を捕らえて離さなかった。
ユンは歌いつづける
「千里鶯啼緑映紅 〜 千里鶯啼いて緑(みどり)紅(くれなゐ)に映ず 〜
水村山郭酒旗風 〜 水村山郭酒旗(しゆき)の風 〜
南朝四百八十寺 〜 南朝四百八十寺(しひやくはつしんじ)〜
多少樓臺烟雨中 〜 多少の樓臺烟雨(えんう)の中(うち)〜」
故郷に古くあったのだと幾度も聞かされていた塔影湖を謳う。
その歌には春と夏の季節の違いはあれど、どこか寂しげながらもその雰囲気がユンには忘れがたい故郷を思い出させるのだ。
だが、その歌にはまだ逸話が在る。
夏になり、そのあまりの蒸し暑さに耐えかねて、涼みに来た人々は塔影湖で泳ぐ。だが湖には藻草が恐ろしい程に繁茂しており、それが何時の間にか誰しもの足には絡んで溺死させるという事故が絶えないのだ。
ユンは静かに左手を優雅に舞わせるように、歌に絡める。
歌と腕だけで静かに舞いながら、自分の中の幾つもの思いが銀色の霧に満たされてゆく感覚に満たされてゆくのを感じた。
ディックがハーフコックを器用に片手で抑えながら、スライドをずらして弾丸を弾き出す。
「__________全てが終わったら、俺の部屋へ来い」
ユンは舞の手を止め、脇腹に押さえ込まれたブローニングを手に取った。
「約束しよう、ディック」
[ No.615 ]
言っていいこと 言わずにいること
Handle : ”デッドコピー”黒人 Date : 2001/11/30(Fri) 03:29
Style : ニューロ=ニューロ◎、ハイランダー● Aj/Jender : 20歳前半/♂
Post : リムネット・ヨコハマ所属電脳情報技師査察官
でもきっとあそこにいる きっと
たぶん天使が Sheryl Crow[meybe angel]
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俺が常々言っている様に。
そして言われているように。
俺は【機械】だ。
機械、器械、奇怪、キカイ……。
言い、そして言われ続けてきた。
だが、正確には【計器】と言ったほうが正しい。人がそう言う風に俺を使うのだから。
道具の名称は、その用途によって決まる。
北米の【目であり耳であるための】モノ。
ならば……【計測の出来ない計器】に一体どれほどの価値があるというのだ?
▽A class is transferred: [Inside of the direction affiliation LIMNET-P company structure of LU$T]
「本当に、見えているのか?」
幾分か冷静さを取り戻したクリスが尋ねてくる。
「………」
俺は返事をしなかった。それは回答と同じだ。
別に隠すつもりもなかった。ただ、返事をするのが億劫だった。それに俺は、こいつがどんな人間かを知っていた。
クリス・ハーデル。断定を好まない男。故に確信を得てもなお、その口からは問いかけの言葉が出てくる。
そういうことだ。分かっているのだ。
よって、もはや”そういうこと”に力を割り裂く必要はない。
判断。実行。トラン・エンド。
すぐにレイ・ストームのモニターが俺が見えている状態になる。
モニターの右半分がブラック・アウト。今まで無限ループで写していた記録画像が消える。
【覚えておきなさい、黒人。ニューロは騙すものなのよ】
メレディーの他の人間には見せなかった一面。別のペルソナ。
俺の基本を形作っている言葉。
俺以外のものが聞かなかったという言葉。選ばれるということは常に幸福であるとは限らない。
グレンが何か喚いている。画面が消えたことに対して、しきりに悪態をついている。
うるさい。
画面が元のように映るまでの2秒がひどく長く感じる。
2、1、0。
俺の右前方に現れる。瞬く、もう一つの俺のアイコン。
(右前方に位置しますね、黒人)
短いクローソーの台詞。
互いが互いをカバーして死角をなくす。不可を可とするシステム。それが【ミラー】。自身が自身のバディとなるシステム。カウンター
ブーメランと似た発想。互いに位置を知らせ合い、二人一組で1つの生物となる。
アドレスが知れているのだから、フォローも瞬時だ。
だが、それは【転移‐シフト‐】ではない。
知らないアドレスには行けない。
ましてや、別の【界層】への入り口を作り出すことなど出来やしない。
二人が爆散したグリッドに出来てしまった【消失点‐ヴォイド‐】をじっと見る。その辺りからから聞こえてくる小波のような音に耳を済ます。
【鉱石ラジオ】からも聞こえている音だ。
「知覚は出来ているのか?」
クリスが言葉を変えて、もう一度尋ねてくる。
「……音は聞こえている。その波動も感じる」
俺は静かに答える。
「だから、どの辺にいるのかは分かる。漠然と。だから、今、作業をしているのさ」
デミフレアによる機雷封鎖。【消失点‐ヴォイド】を中心に。立体的に。
球体型の積層封鎖だ。機械は、こういうことは得意だ。
機械故に。
だから、消えてしまった二人に出しぬかれた形になった。追うことさえかなわない。
機械が【消失点‐ヴォイド‐】を越えることは出来ない。それは自殺するようなものだ。
だから、出しぬかれたのか?
否。
単純な数学の話だ。数学は未来の予測は出来る。あくまでも確立という形で。
だが、過去に遡ることは出来ないのだ。
データに無いものは、処理できない。
その差を、見事に付かれた。過去のレポートを読んだ所で、俺にはそれをDatabase化する時間が必要だ。
直感。閃き。虫の知らせとかいう、得体の知れない感覚。
それらに関しては、人のほうが優れているのだ。
「……データに無いものは、処理できんさ」
ちょっと気になった、という表情でグレンが口を出す。
「何の話しだ?」
「得手不得手があるという話さ」
そこで、俺はエンジンに蹴りを入れる。機械の側からロックをかけ、タイマースタート。
ほぼ5分あたりからカウントダウン。
またも、声にならない罵声をあげるグレン。人はこういう時、無駄と知りながらも力任せに操縦桿を弄るものらしい。
「変なことはするな、グレン。俺がやらなくても、もとよりこいつはこういう仕様だ。どのみち残り三分辺りでこのモードにはいる」
何も言わないクリス。何を思っているのか。
だが、こちらのほうが冷静であるには違いない。
「結論から言うぞ。俺ではあの二人を正確に捕らえることは出来ない。“ツァフキエル”がああいう手段をとった以上、出来そこないのMMH
である俺には手の出しようがない」
機械である以上、俺は【消失点‐ヴォイド‐】にはたどり着けない。
つまり、手の出しようが無い。俺がこれ以上ここに居ても無意味だ。
(女同士ですもの。ないしょの話は大好きなのよ)
自分も混ざりたいような口調で呟くクローソー。
そうだ。どうせ俺が聞いても分からない話なのだろう。クローソーなら分かり得るのかもしれないが。
だが、クローソーは大げさに肩をすくめ、それを否定する。理解不能。分析不可能。
ならば、決まりだ。
「ならば、いっそバックアップに回る」
グレンがぴたりと動きを止めて、表情で続きを促す。
「最低でも身体だけは確保しておくのさ。何、“ツァフキエル”になら、勝算はあるさ」
そして、静かに付け足す。
「出て来い、俺の小人達」
黒い人形のアイコンの手から、小さな黒い人形が次から次へと涌いてくる。
「さあ、レイ・ストームを中心に手を繋げ。俺の代わりにちゃんと守れよ」
AI達はまるで俺のように冷たく笑い返す。
あの二人には焼け石に水。だが、何も無いよりは良い。
「“ツァフキエル”は覚悟を決めて行動に出た。俺達が穴を穿つ前に。自らが穴を空けて。ここから先は、人の直感が支配する時間帯だ。だから、お前の直感に任せる」
静かに俺を見ているクリスと目が合う。
「クリス。なあ、クリス。……お前にデミフレアのトリガーを渡す。操縦桿のトリガープルがそれだ」
瞬時の判断力。データではないものの判別。
そう、こういうことは人のほうが優れている。クリスは必要とあらば、その引き金を引くだろう。
そういう男だ。必要とあらば手を汚す。そうさ。俺は知っている。
だから、この場を任せて下層へと降り始めた。
▼YOKOHAMA LU$T LIMNET Yokohama Arklogy 最下層部 「墓場」
ダレカンは凍り付いていた。
中空を静かに見つめていた目は瞼を閉じ、紅茶の入ったカップを静かに置く。
ただそれだけの動作。
だが、YUKIの纏う空気が変わっていた。
「怒気」と言うにはあまりにも静かで、優雅過ぎる。
そう、それが静かで優雅であったからこそ。
その怒りが本物だと感じた。
【北米で名の上がる者にはまともな人間は一人としていない】
何故、自分は彼女は違うと思ったのだ?
ダレカンは、今、非常に後悔していた。
【Celebrity-12】なのだ。 彼女は。あの【雷銃】と同じ称号を得ているのだ。
「ソレ」が。普通の、ただの女性などということはありえない話だ。
恐怖。笑い出したくなるほどの恐怖。
凍り付いている自分に比べて、その隣で平然と紅茶を飲んでいるYAYOIの姿がいやに目を引く。
そして、YAYOIも普通でないと分かったとき、ダレカンはようやく自分がこのパーティーに参加できていないことに気が付いた。
「メレディ、あなたは本当に困った人だわ」
YUKIが呟く。YAYOIはただ静かに聞いている。まるで、その続きを促すかのように。
「いつもあなたは水際まで行ってしまう。いつもあなたはそちらのほうに近づいていってしまう。自らが恐れているにもかかわらず。
私達が警告しているにもかかわらず。私達は言ったわ。【私達に頼れる所は頼りなさい】と」
「そうね」
合いの手を入れつつ、YAYOIは静かにフードを被る。
「あなたは下手に出来るものだから、なんでも一人でこなしてしまう。一人で背負い、一人で処理する。それが己の能力を超えていようと
人に声をかけるということを知らない」
つまり、生きる事が下手なのだ。少なくともYUKIはそう思う。
「でも、あなたはひどく寂しがり屋だから、人の期待で自分の存在を確認する。自分から人に声をかけることをしないかわりに、他者の思いを取り入れることで自身の立ち位置を知る。そう。そうよ。人の期待を受け入れる。知るために。より多く」
そして、きつく瞼を閉じる。
「そして、あなたは受け入れた期待に共感する。人の言うことに、すぐに思いを奪われてしまう」
そう言ってYUKIは悲しげな表情を見せる。
「多感で素直なことは良いこと。でも、度を過ぎては駄目。いいえ。選ばなくては駄目。自分の言葉で話すことを覚えなくては駄目。あなたは多くの期待を受け入れたいがために、どれかを選ぶことが出来ない。自分で線を引くことが出来ない。それは、流されているということよ」
つまり、それが彼女が常に巨大なストリームの中に身をさらしつづけているという、その理由の一部だ。
「あなたがそうしてしまうトラウマも分かるわ。あなたがうすうす感じているように、私もうすうす分かっているのよ。ねえ、ダレカン。そうでしょう?」
促されることによって、ようやく彼は動くことが出来た。いや、気が付いた。
何時の間にかあの【怒気】は、どこかに消えてしまった。
「ダレカン?」
「やめろ。俺には分からない。いや……分かりたくない」
YUKIの問いかけに対するダレカンの言葉。
つまり、皆が感じてはいたのだ。
「メレディーが死を恐れるということ。人は己の死を最も感じやすいということ。そして、それが今までに齎してきたこと」
YAYOIが囁く。
つまり彼女が今まで三度【転移‐シフト‐】してきた場面に共通する事。
「そうよ。彼女は自分が死に直面すると無意識のうちに【転移‐シフト‐】してしまうのよ」
YUKIがフードを被りながら続ける。遮光性のバイサーに隠れて、その表情は読みにくい。
「そう。それがメレディの人の心の負債を抱えきれなくなったときのリセットボタン。より多くの人の意見を聞くということは、より高い視点から世界を見るということ。でもね。メレディ。ねえ、メレディ。そのせいで、あなたは自分の身の回りにいる多くの人の存在を忘れてしまった。周りの人の心配する声を聞かなかった。その声を無視した。私が、あなたに憤りを感じるのは、そこよ」
そこでYUKIは言葉を切る。先ほどの【怒気】がちらりと影をのぞかせたが、ついに現れることは無かった。
「だけど、あなたは今回、自身の死に抗って見せた。違う形で【転移‐シフト‐】をして見せた」
もちろん、それはあの【小さな電脳の姫君】の命を巻き込んだ形でのものだ。
だが、逃げることはしなかった。
「あなたに同情する人は多いでしょう。あなたを哀れむ人も。だけど。だからこそ。私はあなたを叱りつけてあげるわ」
それが、彼女の心の傷をえぐるような行為であっても。
たれかが、それをやらなければならない。なら。
「私がやるわ。だから、本気で歌うわ」
そう、那辺のためにも。
何の前触れも無しに、二人の歌姫はダイブする。
そして、歌が始まる。
名前があって
そこに愛があって
たとえ一人になっても
花は咲いている
(私の名前はYUKI.。他にも”金字塔””memorimark”などあるわ)
All or nothing,you know
創らなきゃだめ
(この声が聞こえる人は。ねえ。名前を思い出してみて)
あげる
私がスペシャルな歌を
歌ってあげる
(私にあなたの名前を教えて)
ネット・コンサートが、今、その山場を迎える。
▼LU$T居住区画
今回は他人の義体を拝借する余裕は無い。
だから、いたるところに眠らせてある会社の義体を素直に使用する。
足がつく可能性が高くなるが、仕方がない。
特に特徴もないありふれた義体。
おかげて、今、目の前にいる男にいきなり撃たれるということも無かった。
目の前の男。キリー。明らかに俺とは違う戦い方をしてきた人間。
四肢の力を程よく抜き、隙の無い動きをする。
しかし、何のカモフラージュも無しに久遠を抱えているのには、いささか驚いた。
まあ、いい。
それで、ここまで来れたのなら、ツキだけの男ではない。
「初めまして、キリー。自分はリムネット・ヨコハマ所属電脳情報技師査察官、黒人」
隙の無い、冷めた目で睨まれながら、俺は続ける。
「そう、睨むな。利害が一致しそうだったから来ただけだ。
俺は今、そのお嬢チャンの身体に何かがあっては困る。無事にかえって来れるようで無いと困る。
肩書きの通り、俺はニューロだ。だから、そういう支援は出来る。情報でも。電脳戦でも。
その代わり、お前はそのお嬢チャンをちゃんと守り抜く。どうだ、これでビス成立しないか?」
霧のノイズを鬱陶しく思いながら、さらに続けた。
「時間がないのは分かっているだろ? だから、2秒で決めてくれ」
http://www.dice-jp.com/depends [ No.616 ]
彼女の嘘
Handle : シーン Date : 2001/12/06(Thu) 20:57
人は「ただの人間」である事に異を唱え、そこから抜け出ようと足掻く瞬間、「ただの人間」である事をやめるのだ。
ガンパレード・マーチより
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現世(うつつよ)と隔世(かくりよ)の狭間、アストラル界と呼ばれるところに彼女はいた。
ゲルニカ・蘭堂。
様々な勢力、企業がその利権をかけてもとめる人物。
この街に起こった災厄の中心。
緋色の魔女。
大小様々な光が瞬く宇宙にも似た空間に、白くけぶる靄が微かな燐光を放ち、たゆたっている。
その靄を透して豊かなラインを描く女性のシルエットが見てとれる。
身を不思議な虹色の光沢をもった薄手のドレスに包み、星夜のごときこの空間においてなお、白く妖しく浮かび上がる美貌には明かな疲労と焦燥が伺い知れた。
炎のような赤い髪は、それが五感を有した器官であるかのようにザワザワと波打っている。しかし、彼女の疲労に反して髪を透して強い光を放つ双眸が彼女の計画の終焉が近い事を如実に表していた。
ハァ・・・と彼女の紅唇から吐息が漏れる。
そして唇はこの世界のどこのものでもない言語を紡ぎだした。
放たれた言葉は力を持ち、空間に複雑に重なり合った光る多重円を作り出す。
ゲルニカはそれを前方に押しやるように掌を尽きだした。
バチッ
稲妻が瞬き魔法円をうち消す。
ゲルニカは熱いものにでも触れたように、手を引いた。
前方の空間を睨み付ける。
そこには、古く高い霊的知識を有した一族が形成した不可視の結界が存在していた。
その結界の奥に彼女が求める地がある。
魂の寄るところ。世界の意識と通ずるところ。
特異点が。
「さすがは、門の一族・・簡単にはいかないわね。」
ゲルニカは苦笑とともにため息をもらした。
しかし、時間はない。
ホワイトリンクスを通じて流れ込む様々な情報、意識は彼女の許容量を遙かに超えている。
しかも、さらに結界を破り、術陣を完成させるために力を行使していた。
皮肉にも、YUKI達のネットコンサートにより、ゲルニカにかかる負担は減少してはいたが、それもどこまで持つかは、怪しいものだ。
「急がなくては・・・」
ゲルニカは己の意志を確認するようにそう呟き。魔術の構成を編み出した。
と・・・・
パキッ
乾いた音とともに、彼女の霊的な視覚が捉えていた前方の結界が突然消失した。
同時に彼女の身を押しつぶさんとしていたプレッシャーも消えた。
狭く閉めきった部屋のドアを開けはなったような、そんな感覚、開放感だった。
罠か、とそう思い、前方におそるおそる手を延ばす。
しかし、何が起こるわけでもなく、彼女の手はたやすく先の空間を掻いた。
「・・・・」
しばしの思案の後、彼女は毅然と顔を上げた。
「何も問題はないわ。」
自分に言い聞かせるように呟く。
そう、何も問題などありはしない。
これで計画は最終段階・・いや、終局を迎えるはずだ。
彼女の願いは叶う。
しかし。
前方を見据えるゲルニカの表情には、喜びと共に言いしれぬ深い哀愁が見てとれた。
「・・・」
軽くかぶりを振り、口元を引き締め一歩足を踏み出す。
「?」
一瞬、誰か人の気配のようなものを感じ、彼女は足を止めた。
振り返る。
星夜のような空間、その向こうに微かな空気の揺らめきが感じられた。
「アストラル空間に風?」
「どこかとここが繋がったとでもいうの?」
形の良いおとがいを軽くかしげ、彼女は自問した。
その脳裏に、ある男の顔が浮かんだ。
彼女自身意外な事に、それは彼女が追い求め、手にいれようと足掻いた彫像のような冷たく凛々しい男の顔ではなかった。
強い意志を持った瞳。
皮肉気な、しかしどことなく暖かささえ感じられる笑み。
「榊・・・」
微かな驚きとともに、ゲルニカは幻の男に向かって話しかけた。
「私は・・あなたに追って来てほしいと思っているの?」
小さな呟き。
しかし、それは希望ではなく、彼女のかつて愛した人間達への別離の言葉だった。
ゲルニカは一瞬痛みに耐えるように眉をよせると、再び前方を見据え、歩みだした。
物語の終焉へ。
もしくは、世界の破滅へ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆ 関帝廟 外周回廊
リョウヤはタクティカルショットガンの柄に左手を据え、何時でも撃ち返せる様にゆったりとした強張りの無い声で呟く。
「“他所”から来た俺と、この街にいる“オマエ”それぞれの任務をそろそろ教えろ、サンドラ」
「答えろ、サンドラ」
それは、リョウヤ自身が抱いていた小さな疑問だった。
しかし、その小さなしこりは、喉に刺さった骨のように彼に言いようのない居心地の悪さを与え続けていたのだ。
まだ確信を得た訳ではない。だからこそ、言葉に出した。
他に誰も聞いてはいないだろう、今。
「・・・・」
サンドラの表情に明かなとまどいが浮かぶ。
質問の意味が解らないといった風だった。
しかし、リョウヤは強い意志を込めた瞳で射抜くように彼女の双眸を見つめた。
嵐のように辺りを撃っていた銃弾の音さえ、遠くに聞こえるようだった。
どのくらいそうしていただろうか。
不意にサンドラが微笑みを漏らした。
アルカイックスマイル。
全身が総毛立つような蠱惑的な笑み。
「ふふん。」
サンドラは軽く胸を反らし、笑った。
それまでのどことなく怯えた彼女のものではない微笑。
まるで別人に入れ替わってしまったような笑みだった。
その笑みは彼にある人物を連想させた。
次々と組み上がっていく、幾つにも分かたれたピース。
「“やはり、そうなのか?”」
油断無くサンドラを・・いや、その向こうにいる人物を見つめたまま、リョウヤは問うた。
「これも、ホワイトリンクスの力なのか?」
彼の頭脳が目まぐるしく回転し、様々なファクターを選別、除去していく。
「どうかしら?」
楽しくて仕方がないという風にサンドラは艶やかな笑みを漏らす。
「もし、そうだとしたら・・あなたは、どうするの?その銃で私を撃つ?」
リョウヤは答えない。
「良い考えかもしれないわ。もしかしたら、それが最善かもしれない。」
サンドラは挑発するように笑い、一歩リョウヤへ歩み寄った。
腕をゆっくりと上げ、リョウヤへ差し出す。まるで抱擁を求めるかのように。
女、というより少年のような、という形容がぴったりくるそれまでの彼女とは、まるで別人のようだった。
その一挙手一投足がリョウヤの脳髄を刺激し、彼の中の男を揺り起こそうとしていた。
「くっ!」
耐え難い誘惑を振り払うように、リョウヤはかぶりを振り、ショットガンの銃口をサンドラに向けた。
「意志の強い男・・・」
哀れむように、彼女はリョウヤを見た。
「任務を教えろと、言ったわね。」
「あなたの任務は見届ける事。この街で起こった出来事を漏らさず観察し、報告する事よ。」
「それから・・・」
再びあの挑発的な笑みを浮かべ、サンドラは言葉を継いだ。
「私を守る事、かしら?」
「オレにそうする理由があるのか?」
意外な程、冷静な声音でリョウヤは言った。
「おまえをこの場で殺すかもしれないオレに、そうしなければならない理由でもあるのか?」
「だって・・私はあなたの同僚ですもの。ハウンドの隊員。サンドラ・トランテ。」
「それに、この娘はあなたに好意をもっているわ。・・・可哀想な娘。」
クスクスとサンドラは笑った。
「“この娘”?・・この娘と言ったのか?」
リョウヤが訝しげに眉を寄せた。
「そう・・今は、まだ。」
バキン
突然、ヴィーグルの装甲を削り、流れ弾がサンドラの頬を掠めた。
「きゃ!」
小さな悲鳴を上げ、サンドラは糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
その体をリョウヤが支える。
なんの躊躇いもなかった。
ごく自然に彼女を腕に抱いた。
そんな自分の行動にリョウヤは驚きとともに苛立ちを覚え、吐き捨てるように言った。
「くそっ!どこまでも、忌々しいヤツだ。」
「警部補?」
サンドラが怯えたような目でリョウヤを見上げている。
いつもの、彼女だった。
「!」
自分が今リョウヤの腕に抱かれているという状況を認識するや否や彼女は、彼を突き飛ばすように身を離した。
「すすすす・・すみません。私・・・」
「何をしている?」
「はっ・・・はいっ。」
「援護をしろ。」
サンドラの言葉を遮るように、リョウヤは再び迫り来る青面騎手幇達に向き直り、ショットガンのトリガーを絞った。
「いったい・・何が本当で、何が嘘だと言うんだ。」
リョウヤが漏らした呟きは、雷鳴のような銃声にうち消された。
[ No.617 ]
Shadow shadow testament.─覚醒(いざない)─
Handle : “那辺” Date : 2001/12/07(Fri) 02:58
Style : Ayakashi◎,Fate,Mayakashi● Aj/Jender : 25?/female
Post : B.H.K Hunter/Freelanz
汝の血の小川に、真夜中の甲虫の、恐れなき予言の小舟が浮かぶ。
──The Moon
▼YOKOHAMA LU$T Chinatown "NEO関帝廟" 回廊
地を引き裂く絶叫が、次第に引きつりをを帯びた哄笑に変じた。
那辺は仰け反り笑いを止め、顔に手を当て真っ向から彼を見据える。
手の合間から覗いた赤い眼は、爛々と激しい怒りを帯びていた。
「ふざけてるんじゃねぇぞ」
牙を向きだしにし、太く、低く、言葉を吐くと、反語する間を与えずクリングゾールに向かい、使役符を左手で懐から抜き放つ。
黒鉄、赤銅、緑青、白銀、黄金の色を纏った五体の護法童子が発現。金剛輪を廻し、その索を標的に放とうと──いや、放つ前にその存在ごと、いとも簡単に薙がれる。
それでも那辺は懲りないのか、五色の童子を無数に発現さす。
「私にあんなことをして、それでもテメエが上だとハルなら、殺さずに力でねじ伏せて見せろよ!」
「よかろう__Mein Tochter.(我が娘よ)」
五色の方陣を描くべく、襲いかかる童子をもろともせず、クリングゾールは応じた。
ひらひらと舞い踊る雪のように符が彼女から顕れ、色彩が踊る。
数十の童子が込められた術式ごと、切り裂かれた紙片に転ずるのに二秒。
舞い散る紙片が雪のように、二人の周りに舞い落ちる。
一面の白。双方の纏う色の如く。
男は、笑みを浮かべたまま微動だにしない。
「──ただ、おまえは一つ勘違いをしている。”それ”を罪と感じる必要はないのだよ?我らの当然の権利だ、我が娘よ」
頬に細い軌跡がなぞり、描かれた傷口から一筋の血が流れ落ちる。
奇妙なまでに、静謐だった。
「……何が違う」
頬から流れた血をすくい取り、那辺の長くのびた爪先が軌跡を描いて、クリングゾールを指す。
──高く済んだ銀嶺の音が、何処かで谺する。
「何が違うというんだ、それが人間の支配階級の傲慢と!所詮、あんたは踊る人形だ!!」
指先から結ばれた結霊の糸を通じ、飛び散った水晶が球が白背広の男を囲う。
「それを私にいったのはおまえで二人目だ、沙月──」
ぞわり、と。クリングゾールの髪がまるで生き物の如く、蠢いた。
「──だが甘い」
鋼が衣擦れする音をたて、単分子ワイヤーを越える鋭さをもった数房の髪が、舞い踊る108の数珠を、結界を裂いていく。
「考えたものだ、結霊し繋げた呪具で結界を張り、私を封じようなどとは。だがまだ足りぬ、足りないのだ我が娘よ」
破砕した数珠が銀嶺の音を立て地に落ち、那辺は、うつむいたまま。
鋭くのびた牙を見せ、貴族が嗤う。鷹揚に両手を広げ、だだをこねる子供を窘める如く、言の葉を継いだ。
「私の元に来い、沙月。それがおまえと私との契約だ」
那辺はそれに答えず、うつむいたままぶつぶつと何かを呟いていた。
クリングゾールはその言葉の端を捕らえ、目を細むる。
「話の分からぬ娘だな、解らせてやろう」
一丈──那辺の胴を深くなぎ、彼女の懐の身代わり符を砕く。
二丈──真上から真下に裂き、彼女の耳に付いた“天使の羽のイヤリング”を砕く。
三丈──両頬を浅く裂き、彼女の集中力を乱す。
そして彼は、再び魂を縛る「魔眼」で那辺を見入った。
那辺が顔を上げる。
彼と同じくし、異なる双眸を真っ向からあわせる彼女に、苛立ちげにクリングゾールは掌を軽く向け、圧倒的な力で那辺を壁に叩きつけた。
那辺は崩れ落ちたまま、それでも集中を、呪を乱さない。
相手との力量差を想定し、那辺自らの血で結ばれた呪縛結界は、砕かれることを前提に構成されている。
幾重もの水晶の破片が徐々にだが立体的、複合的に結界をより深く、より深淵に施行されていく。
つかつかと足音をたてて那辺に歩み寄り、髪を無理矢理つかみ彼女の腹に手刀を叩き込もうとした____その刻、だった。
「……我が前にユンゲス、我が後ろにはテンタルカエ、我が右手にはキュノケス、我が左手に霊。我が周囲に五芒星が輝き、石の中に六芒星が据えられたり」
『──殺害の王子よ、キリストに道を譲れ──』
さっとした動作でカバラ十字の祓いを行い、重なるように何処かから男の聖言が、響く。
ばちん、と激しい音をたてて、クリングゾールは那辺から大きく吹き飛ばされ、構成された界壁に当たった。
ゆっくりと、那辺は立ち上がった。ゆっくりと。周囲に青く、光る鳴神を纏いて。
──彼女の碧眼の瞳は、まるで深い海の底の様に自分を誘うとよくクラレンスは感じていた。
だかそれは、そのまま真実を物語っているとは、今彼女と一緒にいるクラレンスにとっては、なんという皮肉であろう。
……見るがよい,消え去った「歳月」が,
天空のバルコニーで,時代遅れの衣装を着て身を屈め,
水の底からは「後悔」が微笑しながら浮かび上がり,
瀕死の「太陽」がアーチの下で眠りに落ちるのを,
そして,「東方」へなびく屍衣のように,
聞くがよい,いとしいものよ,やさしい「夜」が歩みくるを。
ボードレールの詩の一節を何故か思いだし、漠然と、彼らしからぬ狼狽を浮かべてクリングゾールは立ち上がった。
「……まさか、まさか、まさか貴様はぁ!」
生き物のようにクリングゾールの髪がのたうち、そのすべてが那辺に向かって襲いかかる。
だが、那辺はそれをよけようともせず、ただ一言、鋭く、言葉を継ぐ。
「我が盟友、我が守護神よ、刻限は来たれり。盟約に従い、我が復讐に力を」
那辺の背後に鳥の翼を閉じた生物の像が浮かび上がる。
彼女の守護神のはずであった、閻魔ではなく。
それが大きく天使の翼を開き、黒い羽の幻影が舞い降りる。
呪が込められた水晶の破片は幾重もの五芒を描き、クリングゾールの動きを封ず。
「____アラストールの使徒か!沙月ぃ!」
織りなされた立体的幾何学的に複合された迷宮結界は、幾重もの、幾重もの澄んだ銀嶺の音と破壊の天使の力で閉じられ、脱出不可能のその結界の中から鷹揚の仮面を脱ぎすて、クリングゾールがもがく。
先ほどの攻撃を全て避けなかった那辺は、大怪我に血を流しながら、だからなんだといわんばかりに、叫んだ。
「聴いているのだろう、視ているのだろう、ディアブロ!奴を、クリングゾールを永劫にこの世界から消し去れ!」
痛みに耐えて、貫かれた腕を押さえ、再び叫ぶ。
「さすれば私は、一度だけ力を貸そう、我に復讐を完遂させよ!」
昏く幾重もの計器に包まれた電算室で。
日本軍大災厄編纂室長、壬生は千眼の肩に手をわずかに食い込ませた。
ゴーストを通じ場を視ながら、そのブラックグラスに潜んだ眼が、画面より照り返された光を通し、怜悧な感情を疾らせた。
それは、残酷なる天啓の宴か。それとも、定めなのか。[ No.618 ]
闇色の螺旋
Handle : シーン Date : 2001/12/19(Wed) 00:52
・・・・・・開かれてはいるが、弱い人間の目には秘密の曝されることはない。
総のある眼瞼を挙げることを禁じている王の意故に。
それ故にここを通るうら悲しい魂は遠い眼鏡ごしに風景を眺めるばかり。
ポオ 「幻の郷」より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
吸血種、夜の一族の中でそう呼ばれる者達は、命のありようがことさら異質である。
単に生命力が強いという言葉ではかたづけられないものをもっている。
中でも血を吸われて吸血種となった者ではなく、もとから吸血種として生をうけたものは殆ど不死に近い。
血の一滴、肉の一片からも体を完全に再生しうる。
それは、もはや生命などと一様に呼べるものですらない。
彼等がどうやって生まれたのか、どういう系統をたどっているのか、専門家の間でも今だに論議は尽きない。
その答えは彼等自身ですら、解っていないのかもしれぬ。
しかし、彼等は自身をこう呼ぶ。
「真祖」と。
那辺の目の前に展開された結界は青白い稲妻をまとい収束しつつあった。
ウオオオオオオオオオオオオオ・・・・
とりこまれ、世界と隔離されていくクリングゾールの雄叫びが今だに辺りに木霊していた。
もちろん、長い時を生きてきた「長命者(エルダー)」の一人である彼はこの手の結界に対する知識を豊富に有していた。
物理的に滅ぼす事が困難な彼等に対する最後の手段は、封ずる事。
それを試みてきた敵も多くいた。
しかし、彼はそれらをことごとくうち破り葬って来たのだ。
その自信。そして、那辺に対する油断が今回は彼をして窮地に追い込んでいたのだ。
那辺は作り出した迷宮結界に、守護神の力を上乗せし、その強度を増した。
しかも、姿をより鮮明に表した彼女の守護神は、那辺自身が今まで何度となく、術中のトランス状態で垣間見た閻魔ではなく、堕天使のごとく黒い翼を持ち稲妻を纏っていたのだった。
それは、クリングゾールの力を容易に上回っていた。
「アラストールゥゥゥゥゥ!」
自身に対する怒りを込め、クリングゾールはもう一度その名を叫んだ。
呆然と、仇敵が封じられていく様を見つめる那辺。
大量に流れ出た血液と勝利したという安堵もあり、那辺はガクリとうなだれるように、その場に膝をついた。
やがて・・・
一条の蒼雷を最後に辺りを静寂がつつんだ。
「やったのか?」
那辺は呟き、立ち上がろうと顔を上げた。
「?」
そこで、彼女はある異変に気づいた。
那辺は通路の入り口に向かって膝をついていた。
微かに差し込む光が回廊をぼんやりと映し出している。
光が前からあたっているため、本来なら那辺の影は後方に伸びているはずである。
しかし・・
影はそこにあった。
那辺の眼の前に。
ありえないことに、光に向かって逆に伸びていたのだった。
不安と言いようのない恐怖が勝利の余韻を塗りつぶしていく。
那辺ははじかれたようにその場を離れようとした。
しかし、体はそれ以上動こうとはしなかった。
まるで、眼に見えぬ力に押さえつけられたように、その場から離れる事ができない。
「なんだ・・・これは。」
うめくように那辺は言った。
「動くことはできぬ。」
地の底から響くうよな、不気味な声が答えた。
ついで、彼女の眼前の影に赤く怒りに燃える双眸が現れた。
その禍々しい赤い瞳に那辺は見覚えがあった。
たった今封じたはずの、男。
「クリングゾール・・・まさか、完全に封じたはずだ、アレから脱出するなんて出来るはずがない。」
那辺は信じられないという思いと共にその男の名を呼んだ。
「まさか、貴様がすでにアラストールの使徒に墜ちていたとはな。・・・しかし、私とて全てを見せたわけではないのだ。」
怒りを押さえ、冷静とさえ言える口調でそれは答えた。しかし、その静かな声音がことさら、彼の怒りの大きさ、傷つけられたプライドに対する恨みの深さを物語っていた。
「影使い・・・シャドーマスターかっ!」
那辺は吐き捨てるようにそう言った。
「その通りだ。私は影を自在に操り物質化する事ができる。お前の結界に気づき、体の一部を影と同化し逃がしていなければ、危ういところだった・・・しかし、それでも体の大部分はもっていかれ、力も大きく削がれた、この代償は大きいぞ、沙月。」
クリングゾールがそう言うと共に、那辺の目の前の影が突然円錐状に盛り上がった。
ドシュ!
「グッ!」
黒い槍と化した影は那辺の腹を正面から易々と貫いた。
次いでもう一本が生まれ、肩を貫く。
「グ・・・と・・当然の報いだろう。過去に私にあんな事をしたんだ。・・ク・ククク。」
苦痛に喘ぎながらも、那辺は目の前の男に嘲笑を浴びせた。
「許さん・・・お前を私のものにし、あの男に対する切り札にするつもりだったが・・・どうやら、考えがあまかったようだ。このまま、取り込み、私の一部にしてくれる。」
今やこみ上げる怒りを隠しもせず、クリングゾールは言った。
影から盛り上がる黒い槍に、体を縫い止められた形になっている那辺は、それでも微笑を口元に浮かべてはいたが、動く事も抗するために何らかの術を行使する力もありはしなかった。
「!」
再び影が盛り上がり何本もの黒いロープに変じた。それは身動きできない那辺の体を幾重にもからめ取り始めた。
「くっ・・くそう。」
那辺の体を縛したロープは、そのまま液状の膜に変わり、那辺の体を覆った。
そして、ブルブルと不気味な扇動を繰り返す。
逃れようと足掻く那辺を満足気に眺め、クリングゾールは初めて冷笑をもらした。
「私の誘いを断らなければ良かったな、沙月。・・・しかし後悔する事はない、私の中で永遠に生きろ。何なら意識はそのまま残しておいてやろう。体を奪われ身動きも喋る事もできぬまま、永遠に苦しむのもまた一興だ。・・・クククク。」
「私の答えは今でも変わらない、NOだ。」
視界すら覆いはじめた黒膜ごしに、那辺はそれでも眼前の赤い瞳を睨みつけ、そう吐き捨てた。
しかし、体の自由は奪われ、感覚さえも徐々に失われていく。
「く・・・ここまでなのか・・私の力はこの程度なのか。」
悔しさと己の不甲斐なさに歯ぎしりし、そう呟いたその時。
“悔しいか?”
突然、那辺の頭の中に、声が響いた。
「ラドウ・・」
すぐに、彼女にはそれが誰かが解った。姿を見た事はまだないが、草薙が渡したイヤリング“アラストールの翼”を通し、聞いた声だった。
“助けてやろう。そして、汝の望みを叶えよう。その男をこの世から跡形もなく消し去ってやろう。”
那辺の全身が総毛立つ。それは、悪魔の囁き以外の何ものでもないように彼女には思えた。
しかし、クリングゾールに対する憎しみが全ての感情、理性を超えた。
「力を貸せ!ラドウゥゥゥゥゥゥ!」
そう彼女は絶叫した。
刹那。
那辺を青白い稲妻がつつんだ。
バチッ!
弾かれたように、クリングゾールは那辺から離れた。
全ての呪縛が解かれ、那辺は体が自由になっている事に気づいた。そして、目の前にクリングゾールから彼女を庇うように立つ男の姿に。
男の出現と共に辺りの空気が一変した。息ぐるしいほどのプレッシャー。
まるで重力が何倍にも増したようだ。
「この男がラドウ?・・・何だいったい・・これはいったい何なんだ。」
もう一度、目の前に現れた男を見上げ、那辺は呻いた。
彼の約束通りなら、自分はこれで助かるはずだ。しかし、那辺には救われたという気持ちは微塵もなかった。
ただ、恐ろしかった。
目の前に立つ男。
黒いロングコートに身をつつみ、闇色の逢髪をなびかせた死神。
彫りの深い整った顔には、獲物をなぶる絶対的な力を持った強者の嘲笑が浮かんでいた。
那辺の体を言いようのない恐怖が包んでいく。
目の前の男に比べれば、クリングゾールなどまるで無害に思える。
それほど、ラドウが纏う雰囲気は異質で圧倒的だった。
かつて、これほどのプレッシャーを彼女は感じたことがなかった。
「貴様!なぜ、貴様がここにいる?」
那辺と同じ思いを彼も感じていたのだろう。クリングゾールは大きくラドウから距離をとりそう叫んだ。
あきらかに両者の力の差は歴然だ。ましてや、力の大半を那辺の術によって封じられた今のクリングゾールには、この黒衣の死神に抗する術はなかった。たった一つ逃げる事を除いて・・・
そして、その望みも瞬時に絶たれた。
「逃がしはしない。」
ラドウがそう呟くと彼を中心に闇が広がった。それまで回廊を包んでいたものとは明らかに違う。光さえ吸収してしまうような真の闇。
「!!!!」
声にならない悲鳴をクリングゾールはあげ、さらにその場から逃げ出そうと跳躍した。
しかし・・
彼はその場から離れる事が出来なかった。
足下を覆った闇はまるで底なし沼のように彼を足下から取り込んでいく。
ズブズブとクリングゾールの体は黒い深淵に飲み込まれていった。
「後悔する事になるぞ!沙月!」
今や胸まで闇に飲み込まれたクリングゾールがそう絶叫した。
「その男の力を借りた事を、おまえは後悔する!その男が何者なのか、おまえには解らないのだ!」
「無様だ・・・貴様のような無様な命は早く消えてしまえ。」
その様を冷ややかに見やりながら、ラドウが呟く。
そこには何の感情も伺い知れない。何でもない作業を一つこなした、ただそれだけという風だった。
そして・・
「沙月ぃぃぃぃぃぃぃ!」
最後に彼女の名を呼び、クリングゾールはこの世から文字通り消滅した。
「契約は果たされた・・・これでおまえは我らが同胞だ。那辺。」
ラドウの声が神託のように、静かに辺りにこだました。
[ No.619 ]
QUO VADIS
Handle : “ツァフキエル”煌 久遠 Date : 2001/12/26(Wed) 19:23
Style : 舞貴人◎ 新生路=新生路● Aj/Jender : 22,Female/ Now... a Little girl in za world
Post : カフェバー “ツァフキエル”マスター
私の耳は貝の殻。海の響きを懐かしむ
....シャン・コクトー
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全てが光に融けていった。
衣服も肌も相手も自分も意識も時間も……なにもかも。
光のプールに飛び込んだら、ばしゃあんと大きな音がした。
きらきらと水のように光が跳ねる。その光景を
ぶくぶくと沈んでいきながら、遠ざかる光の洪水を見送っていた。
全てが闇に沈んでいった。
………………ぽぉん。
赤い、まあるいボール。
ぽぉんと跳ねて、転がっていく。
柔らかいゴムの弾力が、跳ねて変わる姿でわかる。
他には何もない、真っ暗闇の中。
こわくない。それがとても自然。意識しないほど。
白く簡素な実験服がひらひらと揺れた。
てぺてぺと素足が小さな音を立てて赤いそれを追いかける。
合わせる基点の亡いはずの足元の闇は、廊下のようにひんやりしていた。
ぽぉん、ぽぉんと転がっていくボールの速さが
やがて弱まって、緩めた足元で小さく転がっている頃に
拾い上げた。
柔らかいボール。赤いボール。大切な、何か。
それを小さな両手に包んで顔を上げた。
その瞳に映る同軸線上の影。
「………………『どうして?』……」
銀の髪がこくんと首を傾げて、小さな唇が紡いだ声を
四つの瞳が見て笑う。
「……"世界"を考えた電子の頭脳も、最初に発したのは同じ言葉だったわ……久遠」
「………………貴女も待っていたのよ……ツァフキエル。"小さな電脳の姫君"」
笑う声。からからと、笑う声。
合わせる基点も、軸もない世界の『時間』が今、始まる。
「……………………さあ、"世界"を創り直しましょう?」
[ No.620 ]