『「塵俗の世のわめき聲」窓前に騒々しくも、
僕の額は机から離れはしまい、
われとわが意思の力で、存分に「春」喚び醒し、
自分自身の心の中から太陽さへも抽き出したり、
烈火の自分の思念の熱で、温暖な空氣を醸すなぞといふ
心樂しい逸樂にはまり込んでゐる筈だから。』
またボードレールだ。
そういうつもりはなかったが、たまたま今読んでる本で彼の名前が出てきて、それを調べようとしてこうなった。ちなみに肝心の調べ物の方はわからなかった。
まぁ、この際だからいっそボードレールで続けてみるか、と思わなくもない。
続けてみるか、というのも間が空いてしまったからこそ出てきた言葉だ。歩き始めたつもりだったが、結局数歩もいかないうちに止まっていた。そういう事だ。情けない話だ。
ともあれ空いてしまったものは仕方がない。
しかし、再開するのは骨の折れる作業だ。いや、作業がきついんじゃない。作業はあくまで作業だ。きつくしているのは自分自身だ。
今さら人目を気にする事もない。これだけ放っておけば誰も見てやしない。ただ続ければいいのだ。続くのならきっと意味がある。
夢を見よう。自分のための夢を。
ただし他人に期待する夢だけは見ない事だ。どうにかなるのは自分自身だけだ。己の為すべき事を知ってさえいれば他人に期待する必要はない。
また、こんな投げやりな文章だ。 まとまりも何もない。
けれども、とにかくもう一度動かねばならない。
それだけ。それだけのために。
歩き出そう、……摩滅してしまうその前に。
出典 ボードレール「悪の華」(堀口大学訳)
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